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猫の本棚

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#歴史

店の語源は「見せ」、製造工程を見せることが信用に繋がった

宮本常一著『イザベラ・バードの旅『日本奥地紀行』を読む』のご紹介です。『日本奥地紀行』は面白いですが読むには難解な部分もあるため、民俗学者・宮本常一さんの視点で解説してもらえると解像度が格段に上がって、明治時代になったばかりの日本の姿が浮かび上がってきます。 男性が子育てにコミットする地域社会私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、

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応仁の乱の勝者とは誰か

ゴールデンウィークはひたすら来るべき乱世に向けて、歴史から学ぶべく読書をしていました。そして、乱世と言えばこの本を取り上げないわけにはいきません。 曖昧な東軍と西軍の境界応仁の乱は、1467年から京都を中心に11年も続いた大乱です。よく、京都の人が「先の戦争で~」と言うときは応仁の乱のことを指すといった笑い話がありますが、実際に京都市中が戦場となったのは後にも先にもこの応仁の乱だけでしょう。細川勝元を中心とした東軍と山名宗全を中心とした西軍が、畠山氏や斯波氏の内紛や将軍家の

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武田氏はどうして滅びたのか

戦国最強の大名として知られる武田氏は、1582年に織田軍の侵攻を受けて滅ぼされます。名将・信玄の後を継いだ勝頼は愚将という扱いをされてきましたが、近年になって再評価される動きもあります。実際に勝頼の代においては、甲斐・信濃に加えて駿河や上野までも版図に加え最大の勢力を誇っていました。 長篠の戦いは鉄砲の勝利だった?武田氏が滅亡に至るプロセスについては、大きく3つのエピソードが関係しています。まずは長篠の戦い、これは武田騎馬隊が織田徳川鉄砲隊に負けた、旧来の武家が足軽に敗れた

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真田幸村という武将は存在しない

真田幸村と言えば、豊臣家に最期まで仕えた悲運の武将として人気です。しかし、厳密にいえば幸村という名を使った事実はなくて、真田信繁という正式名があります。父・昌幸とともに、徳川家を苦しめた真田家の武勇はいかにして伝えられてきたのでしょうか。 ほとんど上方住まいだった真田信繁信繁が誕生したのは、1567年から1570年と言われています。初陣は1585年の第一次上田合戦とも、1589年の小田原征伐とも言われています。この辺りの幼少期は資料が乏しいために明らかになっておらず、幼い頃

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サピエンス日本上陸

昨年、与那国島に行きました。今思えば、昨年のうちに彼方此方の離島過疎地に行っておいて良かったです。StayHomeの間にこの与那国島が舞台となったドラマ『Dr.コトー診療所』を見直したり、あの独特のゆったりした空気を思い出しています。 日本列島に来るために、海を渡った先祖たち現在読んでいるのは、『サピエンス日本上陸 3万年前の大航海』という本です。我々の先祖であるホモ・サピエンスがいかに日本列島へ到達したのか、太古の昔に海を渡ってきた人々の想いを想像しています。 そう、ホ

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