絶望の王・ゴジラの復活(ゴジラ-1.0レビュー)
『シン・ゴジラ』からは7年ぶりとなる、国内版ゴジラ新作『ゴジラ−1.0』が公開されました。大人の事情でこれだけの期間が空いてしまったようですが、前作を超えることは無理難題であるのも事実でしょう。そんな高いハードルをいとも簡単に超えてきた印象です。
火力では敵わない相手に立ち向かう勇気
舞台となったのは終戦まもない1940年代後半、焼け野原となった日本では軍備が解体され、対ゴジラの主戦力となる自衛隊も組織されていません。まさしくゼロの状態のところにゴジラが上陸し、復興が始まっていた東京の街を蹂躙していくシーンは恐怖でしかありません。
実際に今回のゴジラ上陸シーンでは、1954年公開の『ゴジラ』を踏襲し、品川⇒銀座・新橋⇒永田町と東京大空襲の際のB29と同じルートが被害に遭いました。そして必殺技であるゴジラの熱線は強化されるとともに、その発射に向けてカウントダウンのようなギミックが加えられました。この圧倒的な火力を前に、戦後の日本人はなす術がない状況です。
対ソ連との緊張下で米軍も動かず、日本の国家も相変わらず情報統制と隠蔽を繰り返す状況において、再びゴジラがやってくるのも時間の問題です。しかし軍事力がないからこそ、弱者の戦略である発想力と団結力でゴジラに対抗していく様は、まさに『シン・ゴジラ』でもみられた日本の強みでもあり美徳でもあります。
ゴジラの恐怖を最大化させるための視点誘導
本作で特徴的だったのは、ゴジラが迫ってくる恐怖を避難する人々の目線であったり、ゴジラと対峙し逃げる主人公らの視点から描いていることです。実は今回のゴジラは50m程度と、どんどん巨大化していく過去作のゴジラに対してあまり大きくありません。しかし、リアルな存在感としてのゴジラ以上に、感情としての恐怖感のゴジラは従来の比ではありません。
とくに大戸島、小笠原海上、銀座の街、相模湾と都合4回もゴジラと戦うことになる主人公は様々な形でトラウマを植え付けられており、そこから絶対ゴジラ殺すマンになっていくプロセスがこの恐怖心を克服していく気持ちの変化とともに描かれています。
その意味において、主人公役の神木隆之介さんとヒロイン役の浜辺美波さんは朝ドラコンビでもあり、昭和顔の牧歌的雰囲気が似合うのでキャスティング的にとても良かったように思います。また主人公とチームを組む吉岡秀隆さんや佐々木蔵之介さんといった脇を固める名優たちによって、三丁目の夕日的雰囲気での日常の大切さが醸し出されるといった光景もあります。
そして初代ゴジラだけではなく、小笠原海上での戦いでは『ジョーズ』が、ゴジラの最期では『ドラキュラ』がオマージュされており、これら古典的な恐怖映画の手法を取り入れながらゴジラと対峙する恐怖を増幅させていったということでしょう。この日常の平和と非日常の恐怖のギャップこそが、ゴジラという絶望を増幅させる効果をもたらします。
CGでも予算でも敵わない日本映画の戦い方
正直、ハリウッド版(モンスター・ヴァース)のゴジラと比較すると特撮技術や破壊アクションといった面で見劣るのは否めません。実際にハリウッド版では様々な相手とマッチアップしていく、少年マンガのような強いヤツと戦いに行くフォーマットが採られています。このハリウッド版ゴジラでは、すでにキングギドラやメカゴジラまで登場しており、キングコングとの戦いで集大成を迎えた感も出ています。
本作では、山崎貴監督が『永遠の0』『アルキメデスの大戦』で培ったVFX技術を最大限に活用することで、ゴジラへの恐怖を人の視覚として表現しています。そしてゴジラへの感情が次第に憎しみへと変わっていく流れは、まさに戦後復興という日本社会に通底するテーマを刺激するからこそ生まれるものでしょう。この等身大な視点と感情移入を実現した脚本が、日本映画としての強みとして発揮されています。
派手な火力やカッコいい新兵器だけではない対抗手段でゴジラを倒していく、そんな勧善懲悪型のストーリーこそが日本人好みであると言えそうです。その辺りのお約束を踏襲しつつ、科学力・アイデアでの勝負を仕掛けていく面での日本独自の戦い方はこれからも期待できそうですね。
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