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第六話:千代川の砂を生むもの

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『斐伊川に流るるクシナダ姫の涙』

「まるで馬の背のようね。」
千谷川せんだにがわの河口には、まるで砂漠のような洲が形成されている。そこには北風によって築かれた砂の山があり、地元の民は「馬の背」と呼んでいた。海に向かって断続的に砂丘が続いており、高くなった砂丘の頂上からは大山や隠岐まで見えた。低地には入海が広がって湿地帯となっており、渡り鳥や様々な生き物たちが羽を休めている。人々はそこで鳥を捕獲し、いつしかその地は鳥取と呼ばれるようになった。
 
千谷川はその名の通り、いくつもの谷から集まった沢が合流して形成された河川であり、那岐山なぎさん氷ノ山ひょうのせんなどの霊山からの水が注いでいる。下流域ではなだらかな沖積平野が形成されており、昔から農耕が盛んな地域である。ハヤサヅ姫はこの地で主に海洋での交易を司る役割を得ている。交易は越国の糸魚川や神通川、九頭竜川などと結び、多様な物資が流れてくる。
 
ハヤサヅ姫の中には、これら五つの地で水害と戦った女性たちの記憶がある。それぞれが自らの役割に対して懸命の努力を果たしてきたが、志半ばで亡くなっている。それぞれ洪水による被害が影響したものと考えられる。ハヤサヅ姫にとっては、この洪水が自然発生的なものであるとは思えない事情があった。死の間際、これらの洪水はまるで水の壁のように上流から押し寄せてくる。何かにせき止められて、それらが一気に決壊したものなのだろう。上流域がどのようになっているのか、興味を持ったハヤサヅ姫は千谷川を遡ってみることにした。
 
千谷川を上っていくと、いくつかの場所で煙が上がっている。炭を焼いているのだ。普段の生活では木を乾燥させてそのまま火にくべる薪を利用することが多いのだが、土器や鉄を加工する際には燃焼温度の高い木炭を使う。千谷川上流はその木炭を生産する一大拠点となっているのだ。
 
「な、これは何ですか?」
さらに上流に行ったハヤサヅ姫は、うず高く積まれた丸太を見て驚愕した。川を堰き止める形で木が組まれており、堰き止められた水は小規模な湖を形成している。そこには大小様々な丸太が浮かんでいて、ところどころで木の上に載って移動している人までいる。どうやら木を伐って生活している杣人そまびとたちのようだ。話を聞くと、山から下ろしてきた木をいったんこの川を堰き止めた湖に貯めて、水中で脂分を抜きながら乾かしやすくしているという。そしてある程度の丸太が貯まったら、堰の部分を壊して川の水とともに一気に下流まで流していくらしい。

堰出し・鉄砲流し
丸太を組んで作った一種のダムで、水を貯めた後、堰を切って伐採した木材を水と一緒に一気に下流へと押し流す装置。鉄砲堰によって木材を流すことは鉄砲流しと呼ばれ、河川上流部の少ない沢水を巧みに利用して、山奥から木材を運搬するための技術だった。

山仕事の歴史を知る | 森の活人 (morinokatsujin.com)

「大水の原因はこれかもしれない。」
ハヤサヅ姫は杣人たちの説明を聞きながら、降雨が断続的に降り続いた際に突発的な大水が発生する原因を探っている。杣人たちはいろいろな山に入って木を伐採しており、その際に谷を流れる沢にこのような堰出しの場をつくっている。堰を壊して丸太を下流に流した後も、流木や落ち葉が堆積してこれら湖が自然形成され、臨界点を超えると一気に決壊するためにそれらが合流した下流域では大水が発生するのだ。

大水が発生するから杣人たちに伐採をやめろ、とは言えない。彼らにも生活があり、さらにそこから生産される木材や木炭はハヤサヅ姫を含む下流の人々の生活をも支えている。この上流の木材生産と下流の暮らしの安全をいかに両立させるか、ハヤサヅ姫にとっての課題となった。
 
もう一つ、ハヤサヅ姫には気になることがあった。木が伐採された後の山は裸地となり、そこに雨が降ると泥水が流れ出していく。この地域の山々の地質は、裸地になると流出しやすくそれらは下流に砂となって堆積していく。砂が溜まった土地は不毛の地となり、農耕には不向きである。杣人たちが上流の山々の木を伐採すればするほど、下流には砂が溜まっていくのだ。

中国山地の地質
中国山地は主に花崗岩の多い地質構造であり、それらがむき出しになって風や雨によって風化すると、まさ土に変化して流出していく。

花崗岩の風化 | 中国地質調査業協会 (chugoku-geo.or.jp)

「そうだ、木を植えよう。」
ハヤサヅ姫は河口付近にある村に戻り、民に説明する。杣人たちが木を伐ることが原因で私たちの暮らしが脅かされる現実を知り、民たちも動揺している。中には杣人たちを追い出せといった過激なことを言い始める者も出てくる始末である。一方でハヤサヅ姫はあくまで杣人たちと共存していく方法として、下流の民たちが上流に行って伐採された山にともに木を植える活動をしようと提案している。
 
議論は紛糾したまま、結論は出なかった。翌年、再び大水が発生し、運悪くハヤサヅ姫の住処を直撃してしまった。彼女もまた、志半ばで亡くなってしまったのだった。
 
千谷川はのちに千代川せんだいがわと呼ばれるようになった。

第七話:日野川と国引き

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