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第二話:信濃川を望む墳丘の墓標

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『斐伊川に流るるクシナダ姫の涙』

「またあの夢か。」
アキ姫は目を覚ますと、少し前まで見ていた夢を思い出していた。自分自身はヌナカワ姫として、糸魚川流域から越国を統治しているようだった。そのヌナカワ姫が遠征から帰還する際に大水に呑まれ、そこでいつも目が覚めるのだ。

アキ姫の住む川中島は科野しなの国の北部に位置しており、科野川と犀川に挟まれている。辺りは湿地帯で水が停滞しており、臭く汚れた水が溜まっている。蛇行する川は毎年のようにその流路を変え、その間隙を縫うように田圃が拓かれていた。この辺りは川幅が狭まっており、春の雪解けや秋の大嵐による大水が出るとすぐに田圃が水浸しになってしまう。農民たちはその自然の機嫌を伺って農耕しており、三年に一度は必ず作物が水没してしまい収穫できなくなる有様だった。

自然の気まぐれによって収穫が無に帰してしまう土地において、農民たちを守るためには相互扶助の仕組みが必要となる。そのため、農民たちはそれぞれ特定の耕作地を使うのではなく、村単位で農地を前年の収穫や土地の生産性といった要素で区分けし、平等に耕作していくようにしている。
 
「今年の秋は良い収穫が見込めると良いですね。ともに祈りましょう。」
アキ姫は農民たちと懇談しながら、農業の状況を聞いて回っている。ただでさえ洪水によって収穫がまさに水泡に帰してしまうことがあるのに、近年ではその洪水の頻度が増えてきており、農民たちの不安も大きくなっている。とくに科野川は、科坂=険しい峠の峰々から水を集めてきており、山の天候が変われば水量も大きく増える傾向にある。一方で川中島のある盆地は平坦で複数の河川が合流するため、水が溜まりやすく抜けにくい。田圃をするには都合が良いが、農民たちが水位を調整できる余地はあまりないために、ときには胸まで水に浸かって苦労しているようである。

ここ数年の天候は、夏は暑く雨は多くなってきている。当然、稲の生育にも影響を及ぼしており、不作の土地が広がってきているため、村によっては農民たちが逃散してしまうところも出始めている。せめて停滞する腐水を抜きつつ、新たに川から水を引いてくることができれば収穫量も味も良くなるのに、現状は変わりゆく自然環境に対応することで手一杯である。
 
「そうだ、鉄だ。越国には鉄がたくさんあると聞いた。」
アキ姫はヌナカワ姫の記憶を手繰り、鉄という戦略物資が北の隣国にあることを思い出した。越国では主に武器に使っているが、こちらでは農耕に使えるのではないか。とくに農具は刃先にだけ鉄を使えれば良いため、より多くの農民たちの手に渡すことができる。アキ姫は早速、職人を呼んで鉄を使った農具の試作を依頼するとともに、より多くの鉄を入手するために越国と交渉することにした。

幸いなことに、霧ヶ峰付近では黒曜石が採取できた。黒曜石を使った調理道具や装飾具は今も人気であり、越国にも塩と交換で送っている。もちろん、鉄製の農具が普及すれば米の収穫量が増加することも見込めるため、越国に米を送ることもできる。
 
「そうか、そうやって土を盛るのか。」
アキ姫の目前に墳丘が迫ってくる。鉄製の農具を手に入れ、農民たちは土地改良を進めていた。田圃の畔が交差する部分には墳丘が築かれ、そこには簡素な木製の小屋があった。農民に聞くと、大事な種もみや農具を保管しているという。そして小屋の縁には舟が置いてある。農民たちはこの小屋を水倉と呼び、村単位の共同で管理している。先年も科野川から水が田圃に流れ出たことがあったが、この墳丘は無事でありそこに逃げた農民たちもいた。
 
やがて秋が訪れ、稲穂は黄金色に実り始めている。墳丘から眺める沃野の景色は、まるで金色の鱗が波にたなびいているようだ。しかしアキ姫はそこに不吉な予兆を見た。南部より黒い雲が近づいてきている。秋になるとしばしば大嵐が襲うことがあるが、本来はもっと秋が深まった時季にやってくるはずだ。
 
「何やら雲行きが怪しい。収穫を急がせよ。」
従者に厳しい口調で言いつつ、アキ姫は呪術の準備を進める。大嵐が来ませんように、無事に収穫ができますように。アキ姫の祈りの言葉を聞きながら、農民たちは急いで収穫の準備を進めている。しかし、一本ずつ石包丁を使って刈り取る人海戦術では、収穫するにも時間がかかる。次第に雲が広がってくる。じきに雨も降ってくるはずだ。そうすると何が起こるか、想像するのも恐ろしい。

アキ姫は火を焚きながら呪術を続ける。次第に辺りが暗くなってきたが、夜を徹して祈り続けるつもりである。今のところ雨は降ってきておらず、天候は持ちこたえている。農民たちはさすがに暗闇では収穫ができないため、翌早朝からの作業に備えてそれぞれの家で休み始めている。
 
アキ姫が必死の想いで呪術を唱えているのか、それは秋の収穫を守りたいのはもちろんであるが、自身の生命をも左右するからだ。もし、この大嵐で収穫がなくなってしまえば、農民たちはアキ姫を生贄として荒ぶる神へと捧げるだろう。それが若い女性であるアキ姫がこの地を統治している理由であり、存在意義となっている。

夜が明けた。太陽の光のなかでアキ姫が見たものは、科野川から流れ出た一筋の濫流が、やがて八つに分かれて田圃を浸していく光景であった。間に合わなかった。アキ姫は自らの運命を悟り、祈るのを止め、空虚な眼差しで景色を眺めていたのだった。農民たちは磔柱を携えて墳丘を登ってくる。
 
信心深いアキ姫の御霊を弔うために、人々は次第に科野川を信濃川と呼ぶようになった。

第三話:神通川の流れを包む

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