第五話:九頭竜川の暴れオロチ
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『斐伊川に流るるクシナダ姫の涙』
「またオロチ様が出たのですか。」
ミヅハノメは農民たちとともに河岸を見て回っている。川は上流から大量の土砂を運び、それによって自身の流れを変えていく。大蛇のごとき暴れ方をするこの川では河岸の堤はすぐに崩れてしまうため、人々はこの川を「崩れ川」と呼んでいた。
ミヅハノメは過去四人の女性が志半ばで亡くなった記憶を持っている。自分自身もそうなるのではないかと考えており、とくにこのオロチという存在が猛威をふるっている現状においては、生贄にされると諦めている。もしかしたら今夜にでもオロチ様に捧げられてしまうかもしれない。
いつ死んでも良いように、ミヅハノメは常に身を清めている。ある日、いつものように崩れ川の上流で沐浴をしていると、河畔を切り通して水路を掘っている農民たちを見つけた。不思議に思って羽衣を纏い農民たちに話しかけると、田圃に水を引くための水路を上流から何年もかけて造っているのだという。何度も流路を変える崩れ川の水を稲作で使うためには、上流から一定の水量を確保するのが合理的なのだ。
ヌナカワ姫の記憶から鉄製の農具を紹介し、アキ姫の記憶から墳丘を築いて拠点をつくり、セオリツ姫の記憶から堤を盛るように教え、ククリ姫の記憶からそこに木を植えて強化すると提案する。農民たちは驚きつつ、このミヅハノメの案を採用して立派な水路が完成したのだった。これならば崩れ川がいかに暴れようとも、川から離れた場所でも耕作ができるし、一定の水量を確保可能だろう。
このミヅハノメ発案の灌漑を一目見ようと、周辺からたくさんの農民たちが集まってくる。瞬く間にたくさんの場所で水路が掘られ、崩れ川の水量自体が減少するほどであった。洪水もめっきりと減っていき、崩れ川という名も今は昔といった状況になりつつある。水路は下流に向かって八の字状に開削され、崩れ川の流れを自然に活かした形で水路へと流出するようになっている。
「これではオロチ様も出られませんね。」
この歯抜けのように水が抜けていく状況を見ながら、ミヅハノメは安心している。平穏な時は数年続き、農民たちも安定した収穫が得られるようになって喜んでいる。暮らしぶりが安定すると、農民たちはさらなる洪水対策の方法を開発していった。
農民たちは何やら木を三角錐の形で組み、土を詰めた袋の重しで水中に沈めている。川の流れを制御する目的で、その形が牛に似ていることから「牛枠」という名前が付けられた。「蛇籠」は細長い袋に石を詰めて、堤の内側に設置することで水流によって土が削り取られる洗掘を防止するものである。これまで防戦一方だった水害に対する農民たちの対策は、利水と治水を一体的に進める形で加速度的に発展していったのだった。
その年は南部から大嵐が迫ってきていた。例年、大嵐はやってくるものの様々な対策によって氾濫は抑えられ、収穫は守られてきた。今年も警戒はするものの、ミヅノハメと農民たちの準備は抜かりなかった。今回も大嵐は強い風を吹かせたが、雨の量はそれほどでもなくミヅハノメは胸を撫で下ろした。
再び雨が降ってきた。秋なのに何やら蒸し暑い。大嵐が過ぎると晴れるのが通例だが、雨は長く降り続いている。すでに降り始めてから二日が経っている。雨雲は線状に伸びており、崩れ川全体を覆うように継続的に雨を降らせている。風はいつの間にか北から吹いてきており、海の方からは断続的に雲が流れ込んで、治まる気配はない。おかしい、こんな雨の降り方は少なくともこの百年の間はなかったはずだ。
崩れ川の水位がゆっくりと上がってゆく。すでに水路へ流出する水量も増え、それらが川のように分かれていく。そして崩れ川の流路は八本に分かれ、水路に面した集落を呑みこみながら氾濫していった。農民たちはそれぞれ築いた墳丘に避難して無事であったが、彼らの家や田圃は容赦なく濁流に消えていく。
「あれは、八叉のオロチなのか。」
絶望的な様子を見ながら、農民たちは口々に祈りの言葉を発している。オロチ様は来ない、と侮った罰なのか、それとも新たな怪物が生まれたのか。ミヅハノメは目の前の光景を凝視しながら、濁流へと身を投げたのだった。
崩れ川は八つの叉と九の頭を持つ竜の意を当てられ、九頭竜川と呼ばれるようになった。