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猫の本棚

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#戦国大名

武田氏はどうして滅びたのか

戦国最強の大名として知られる武田氏は、1582年に織田軍の侵攻を受けて滅ぼされます。名将・信玄の後を継いだ勝頼は愚将という扱いをされてきましたが、近年になって再評価される動きもあります。実際に勝頼の代においては、甲斐・信濃に加えて駿河や上野までも版図に加え最大の勢力を誇っていました。 長篠の戦いは鉄砲の勝利だった?武田氏が滅亡に至るプロセスについては、大きく3つのエピソードが関係しています。まずは長篠の戦い、これは武田騎馬隊が織田徳川鉄砲隊に負けた、旧来の武家が足軽に敗れた

真田幸村という武将は存在しない

真田幸村と言えば、豊臣家に最期まで仕えた悲運の武将として人気です。しかし、厳密にいえば幸村という名を使った事実はなくて、真田信繁という正式名があります。父・昌幸とともに、徳川家を苦しめた真田家の武勇はいかにして伝えられてきたのでしょうか。 ほとんど上方住まいだった真田信繁信繁が誕生したのは、1567年から1570年と言われています。初陣は1585年の第一次上田合戦とも、1589年の小田原征伐とも言われています。この辺りの幼少期は資料が乏しいために明らかになっておらず、幼い頃