日本人は「海」をもっと理解した方が良い
上野の国立科学博物館で開催されている特別展「海−生命のみなもと−」を観てきました。海の展示なのに、宇宙のはやぶさプロジェクトから始まる、何ともスケールの大きな内容でした。
人間のなかに生物進化の過程が内包されている
近年の研究では、人間を含む真核生物は複数の単細胞生物(原核生物)が組み合わさり、細胞体のなかに複数の役割を分担するように共生することで進化が進んでいったと考えられています。ミトコンドリアのような細胞内小器官は、その進化の証明と言われています。
16時間ダイエット等で注目されるオートファジーも、液胞や小胞体といった昔はゴミ捨て場と考えられていた細胞内小器官が主要な役割を担っていると分かってきており、私自身が生物を勉強した頃とは隔世の感があります。
海から送られてくる異変
今年始め、大阪湾にクジラが迷い込むニュースがありました。残念ながらクジラは死んでしまったのですが、その遺体は貴重な研究材料となりました。ストランディングと呼ばれる海鯨類の座礁は、その生き物が暮らしてきた環境の情報を知らせるとともに、何らかの異変があることを示唆しています。
つまり、海流の変化やマイクロプラスチック汚染といった、海の環境変化が生態系の頂点にいる海鯨類に現れているとも考えられます。実際に、大西洋の海洋循環が停止し始めている研究結果もあり、気候変動とどのような関連性があるのか、研究が続けられています。
私たち日本人の祖先はどこから来たのか
約4万年前の旧石器時代には、人類が日本列島に到達していたと言われています。それから2万年ほどかけて徐々に東アジア地域からの流入・移住が続き、縄文人としての文化形成が興ってきました。これとは別に、主に黄河流域において農耕社会を形成した渡来系弥生人が朝鮮半島経由で約5,000年前より流入し、縄文人と混ざり合うことで日本人が形成されていった「二重構造モデル」と呼ばれる遺伝子研究の結果が明らかになってきています。
また縄文人とは別に、主に屋久島・種子島周辺に貝文人と呼ばれる海洋民族が暮らしていたと言われていますが、約7,500年前の鬼界カルデラ噴火によって滅亡したために現代ではほとんどその痕跡は残っていません。いずれにしても、この南九州や奥州といった辺境に、大和朝廷に反抗する熊襲・蝦夷と呼ばれる異民族がいたことは古事記や日本書紀にも記されています。ある時は敵対し、またその血が混じり合うことで日本人としての多様性が形成されていきました。
とくに農耕社会以前の狩猟採集時代においては、漁労によって生活を成り立たせていた人々が一定数存在していました。海民は文字による書籍や伝承を残していないため、なかなかその実態が分かりにくいのですが、網野善彦さんの研究でも明らかになってきたように、かなりの人口規模があったようです。そして源平合戦や南北朝、戦国といった数々の戦乱期にもこの海民を味方にした武装集団が勝利を収めてきた歴史があります。
多様な学問の基盤には「海」がある
このように、生物学、考古学、歴史学、そして環境学といった様々な学問領域にとって、海という存在は欠かせないものです。とくに日本における海洋の重要性は言うまでもない一方で、その大きさや深遠さからなかなかアプローチできない分野でもありました。しかし、近年の技術開発によって海洋探査は容易になってきています。
リチウムイオン電池をはじめとした各種デバイスの小型化は深海航行を可能とし、通信技術はリアルタイム映像を地上に送ってきます。またPCR検査で有名となった遺伝子シーケンスの高速分析は、生物たちの進化過程や生息環境の同定といった実験を容易にし、AIを活用した仮説検証プロセスを短期間で実現する成果に結びついてきています。
まさにサイエンスが技術革新によって高度発展する時代において、海洋国家たる日本のポジションを世界に示すためにも、より海に対して興味関心を深めていく必要があるでしょう。そんな展示会の内容でした。