脱「地域活性化」縮小均衡の時代へ
全国各地に地方創生や地域活性化といった言葉が駆け巡り、久しいです。多くの自治体が高齢化や過疎化といった人口動態の問題を掲げ、人口ビジョンという目標を設定して移住等の社会増加および出生率向上等の自然増加を目指しました。
雇用創出、若者誘致、SNS活用という正義
これら地域活性化に対する取組みとして、半ば常套句のように語られる文言が存在します。「ローカルビジネスを拡大することで雇用を創出する」「イベントや体験を通して若者に地域の魅力を知ってもらう」「SNSを活用することで地域のファンを増やしていく」というような具合で、各種補助金や地域おこし協力隊制度を活用する上でのミッションが設定されてきました。
私自身も少なからず加担していた自覚もあり、また大学で教鞭を執っていたときにはこれらの取組みがある意味テンプレ的に学生たちのレポートに書かれ、教育課程における地域連携の在り方が規定されてきた流れがあります。人口を増やして経済活動を活発にしていくことで地域を活性化する、そんな正義が無意識の共通理念として国から自治体、教育機関に至るまで信じられてきました。
噴き出し続ける地方の現実
高知県土佐市で、地域おこし協力隊を経て独立した女性が、運営するカフェの管理者であるNPOをTwitter等で告発し、そこにネット有名人が乗っかって役所や観光協会に数多くのクレームが寄せられた事件が発生しました。
地域おこし協力隊あるあるといった内容ですが、この土佐市に限らず、口約束やなあなあで土地や拠点などを借りていていきなり返せと言われるケースは枚挙に暇がありません。それらを文書に落とし込まなかったのは地域おこし協力隊の落ち度でもあるし、感情的に非難したところで関係性がこじれるだけだと思います。
そもそもの地域おこし協力隊制度自体が、施行から10年以上経過してオワコンになってきています。毎年同様の問題が発生しているにも関わらず、総務省は各行政の問題として先送りされ続けてきています。耳障りの良い移住者の成功ストーリーは垂れ流しつつも、問題解決に向けたFAQ等の知見は一部の中間支援団体に蓄積するだけで、行政の担当者は数年単位で異動して騒動が繰り返されてきた現実があります。
課題先進地域に素人同然な若者を送り続ける
先述したような地域活性化にまつわる各課題は、10年以上も地域住民や行政担当者が取り組んできてあまり成果が上がっていません。そこに地域おこし協力隊制度を使って素人レベルの若者を呼び込んで丸投げしているケースも散見されます。人口増加を前提とした現状維持のためのモルヒネ的施策に若者の貴重な人生を投下する余裕はすでにないでしょう。
マクロ的に見れば、人口ボリュームの大きな団塊世代が70代後半の後期高齢者に突入し、年間100万人の人口が減少する時代は目の前に来ています。人口増加や経済発展といった量的拡大を前提とした地域活性化は、そもそも成立しない局面に達していると自覚するタイミングでしょう。さらに言えば、グローバルな安全保障やエネルギー供給、金融資本主義の安定といった様々な要素が揺らぐなかで、税金を原資とした補助金を投入し続ける持続性が失われているのです。
地域活性化に代わるオルタナティヴとは
かなり前置きが長くなってしまいました。この線形的な地域活性化の流れに疑問を持つ若手研究者を中心に綴られた『オルタナティヴ地域社会学入門』は、「不気味なもの」という存在をフックに学生や都市住民がいかに地域に関わっていくべきかを論じています。
「不気味なもの」の代表格は、新型コロナウィルスでしょう。2020年に突如現れたこの存在によって人間社会の活動は制限され、その態様は変異を繰り返してワクチンや対処法も二転三転を余儀なくされています。結果として根絶には至らず、経済活動をはじめとした人間社会とバランスを取る形でその存在を許容しつつあるというのが現状です。
この書籍では、ヤマビルのような寄生生物や空き家問題、関係人口的な観光客、移住者といった存在を「不気味なもの」と定義し、過疎地域を中心とした地域社会がいかに変容していくべきかを説明しています。従来の地域活性化の文脈では根絶や解決といった明示されたゴールを目指すべきもの、とされてきた対象を再定義することで、プロセス自体に価値を見出す転換が図られています。
その結果、ヤマビルを退治する活動自体をコンテンツ化したり、空き家を利活用するのではなく祭事を実施するイベント場所として盆暮れに一時利用するといった、ゼロか100かではない落としどころが見えてきます。そして、その状態を許容し低位でも安定させることこそが、地域社会が本来的に持っていた価値観なのではないでしょうか。
決してすべての地域が活性化という絶対正義を目指すのではなく、気候風土や受け継がれてきた風習文化、現代社会における立ち位置といった地域の複合要素に対して、それぞれの折り合うポイントを探していく多様性こそが、変化する外部環境に対してしたたかに生き残ってきた地域本来の生命力だと、改めて問い直す内容となっています。