地域活性化を目指さない
noteでバズっている記事を読みました。この書き手はあるワークショップに参加した際に、スタッフといざこざがあってその顛末を書かれているようですが、それらのタイトルに「地域活性」「地方創生」というような言葉が入ると、主語が大きくなって様々な場所で行なわれているようなイベント・ワークショップに当てはまるということでしょうか。
東京⇔地方の対立構図の無意味さ
こういった批判に付き物なのが、東京のコンサルやその地域に責任を持たない人々が地方を食い物にしているというようなステレオタイプな構図です。もちろんそういった場合もあるのでしょうが、その地域に責任を持ってコミットする、という覚悟って並大抵なことではないとも思ってしまいます。
それは地元に住んでいる人も地元出身者にも等しく言えることであり、空き家問題や地元の商店街で買い物せずに大きなショッピングモールに行くといった、個人の選択の積み重ねが地方の経済的衰退を招いているわけであって、東京の人々を悪者に見立てたからといって解決するわけではありません。
社会的階層構造の対立が真の課題
少し前に読んだ『日本社会のしくみ』という本に現在の社会構造が生まれた歴史的経緯が説明されていました。東京をはじめとした都市部に人口を集中させ、工業化と富国強兵を実現させる国家戦略と、高学歴化に伴う労働力の平準化と終身雇用・定期異動昇格というシステムがいかに出来上がったのか、そしてそれら製造業を中心とした都市部大企業のサラリーマンと、地方の中小企業自営業、そしてどちらにも属さない浮遊層という三層構造がありました。
昭和の時代にはそれなりに機能していたこの三層構造は、平成に入って制度疲労を起こし、バブル崩壊や経済不況によって大企業サラリーマンの雇用の安定は難しくなりました。就職氷河期世代を中心とした非正規雇用が浮遊層となって、また地方の中小企業自営業者も高齢化や後継者不足によって数を減らしてきています。つまり、社会システムの変化を先鋭的に捉えているのが地方であり、とくに地方都市の商店街といった場所はモロにその波を受けていることになります。
地域活性化をやめよう
個人的に、大学で若者たちに教える立場になって常々言っていることは、人口減少や過疎化、高齢化といった大きなテーマを掲げてそれらの課題解決から入るのは止めよう、ということです。何だか見知ったようなキーワードを並べてプレゼンして提案しても、それを実行に移すことはないような内容にしかなりません。
むしろ、自分が好きな地域のお店をどうやって応援するか、ライブが好きだとか個人の趣味嗜好をいかに地域の中で実現実行していくかを積み上げていくことが、行動のモチベーションに繋がるし結果として様々な資源と結び付いて地域活性化になると考えています。
もちろん、実行していくためには自分が心地よいと思える仲間を集めて、やっても良いと言ってもらえる地域と関係性を作っていく必要があるわけで、そこにはワークショップやイベントも必要だと思います。自分に合わない場だったならば、自分が場を創り出すしかないわけで、ネガティブな要素を並べたところで何も起こらないのではないかと感じました。