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女性同士を分断させようとする社会

『あのこは貴族』という、東京のハイソサエティと地方出身の2人の女性の暮らしぶりのコントラストを描いた作品。といった説明だと、この2人がぶつかって物語が展開していくような印象を持つでしょう。そう、この「東京と地方」「金持ちと貧乏」といった分かりやすい二項対立こそが、日本社会においては曲者なのです。

狭い価値観に縛られる上流階級と地域コミュニティ

分かりやすさであったり、説明のしやすさというのは既存のレールに乗せられやすいです。本当はハイコンテストな、階級やコミュニティ毎の文脈があるはずなのに。「あなたは●●だから」という家庭環境で育ち、親の生き方をトレースして同じような境遇の友達と同様のタイミングで人生のイベントをこなしていく。実は東京の上流階級も地方のマイルドヤンキーもステレオタイプな狭い価値観に縛られているのです。

主演の2人も良いのだけど、その友達役として出てくるもう2人がとても良いスパイスになっています。とくにバイオリニストの逸子は、ハイソな階級なのだが早い段階にドロップアウトして、主演の2人を結び付ける役割を担っています。決して対立を煽ってヒステリックに騒ぎ立てるでもなく、かといって現状をなあなあで追認するのでもなく、やがて自立していく友達の伴走をしていく距離感が心地よいです。

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幸せは自分で決める、という当たり前の選択が難しい

メインテーマとしては、女性の友情を描くシスターフッドなのでしょう。この映画でも、華子はずっとタクシーで移動していましたが、自分の足で歩くようになり、やがて自ら運転もするようになって自由度が増していきました。移動手段や小道具のメタファーまで作り込んである作品なので、なかなか気が抜けません(笑)

そしてその裏には敷かれたレールから逸脱できない男性たちの姿も見え隠れします。従来ならば、男性をもっと露悪的に描いて最終的に女性たちが連帯していくようなシナリオの方が“分かりやすい”のでしょう。「善人と悪人」という表現に逃げなかったからこそ、この作品のリアリティが浮かび上がってくるのです。とかく、自分とは別の世界の住人や立場の人々を仮想敵として物語を描く作品が多い中で、安易に分断をつくらないのはとても包摂的な21世紀の表現だと感じました。


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