敬虔さと楽しさと安寧と
インドネシアでイスラム教の信仰が深いバンダアチェに滞在して、いろいろ思うところがありました。この地域には至るところにモスクがあり、日が暮れると何処からともなく地元住民が集まってきます。この国では法律に先立って戒律があり、神に祈り感謝することが家族や友人たちの安寧をもたらすと信じられています。バンダアチェではモスクは西向きに建てられており、本殿に向かって祈ることでメッカへと通じています。
厳かではなく、賑やかさ
と書くと厳かな雰囲気のように思われるかもしれませんが、実態としては娯楽みたいな感じで、大音量で流れるコーランに合わせて家族揃って礼拝したら、敷地内で寝そべったり、すぐ外に並ぶ屋台で買い食いしたり、要は阪神タイガースやアイドルに熱狂する日本人と本質的には変わりません。
中では前列に男性、後列に女性という男尊女卑な序列が感じられましたが、どう考えてもイスラム教徒ではないジャパニーズが紛れ込んでも誰も咎めることなく、広大な地下空間で沐浴が行なわれていたり、何だか和やかな雰囲気の聖なる場所でした。
宗教がもたらす寛容さ
日本でも地方に行くと、信心深いお年寄りがいてあれこれ世話を焼いてくれることがあります。人に親切にする、不快感を与えない、争うよりも譲歩するといった、対人コミュニケーションの基礎的な部分はどんな宗教でも変わらないのかなと感じます。とくにイスラム教に対するイメージは、日本人では過激だったり暴力的という印象が強かったりするので、本来的なムスリムのライフスタイルを肌で感じる機会というのは貴重でした。
むしろ無宗教が支配的になっている日本社会では、寛容さが失われていることに気づきます。満員電車ではみんなが不機嫌になっていて、譲り合いの精神は薄れて子育て中の親やゆっくり歩くお年寄りにも舌打ちするような状況です。そして、テレビではタレントにキレて直接文句を言うようなパフォーマンスをする国会議員が出てきたり、高速道路で煽り運転をして相手を殴るという人間がいたり、日本の方がもはや無法地帯と化しています。
社会における不文律な規範であったり、暗黙の了解といった部分をどのように共通の価値観として伝えていくべきなのか、宗教という方法は決して悪いものではないと考えさせられた旅でした。
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