伝統工芸の守り方
国指定伝統工芸品・伊賀くみひもの中興の祖である廣澤徳三郎さんの孫に当る、廣澤浩一さんにお話を伺いました。伊賀上野観光協会の会長も兼務し、忍者や松尾芭蕉といった観光コンテンツ開発にも尽力されています。
組紐とは
組紐は、もともとは武具や生活雑貨の強度を増し滑りにくくするといった、生活ニーズから生まれた民俗的な工芸品です。日本のみならず世界においても、糸を縁って組紐を編み、それらを様々な用途に使うことが伝統的に行なわれてきました。
その後、江戸時代には武具を装飾するために派手な染色がされたり、金銀の糸を織り込んだものが多くなりました。明治時代に入ると、組紐は和装の帯締めや装飾具として使われるようになりました。
伊賀くみひもの始まり
伊賀くみひもは明治時代に、伊賀上野出身の廣澤徳三郎氏が江戸に丁稚奉公に出ていた際に江戸組紐と出会い、その技法を地元に持ち帰って発展させたのが始まりです。それまでは生活周りの工芸品として各戸において丸台や角台によって家内工業的に行なわれていた組紐に対して、高台や内記台といった新機構を開発して複雑な絵柄を組めるようになったことで、伊賀が一大生産地となりました。
最盛期には京都や大阪などの呉服店で販売される帯締めの8割のシェアを誇ったと言い、伊賀くみひもは和装の装飾具としておしゃれや流行を左右する存在となります。しかし戦後になると徐々に洋装化して需要が減るとともに、機械化による大量生産や化学繊維に押されるようになって徐々に生産地としての規模は縮小していきます。
組紐を一躍有名にした『君の名は。』
近年、組紐が一躍注目を集めたのは、映画『君の名は。』でしょう。主人公同士や過去と未来を結び付けるアイテムとして、重要な役割を果たしていたのは記憶に新しいところです。主人公のお祖母さんが言うセリフには、この組紐の編み方を様々な事象に例える表現が出てきます。
糸を繋げることも結び、人を繋げることも結び、時間が流れることも結び、全部同じ言葉を使う。それは神様の呼び名であり、神様の力や。ワシらの作る組紐も、神様の技、時間の流れそのものを顕しとる。縒り集まって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、また繋がる。それが組紐。それが時間。それが結び。
手で編まれた組紐は、伸縮性や色のバランスが“好い加減”になっているそうで、帯留めとしてズレ落ちない、結んだときに柄がキチンと映えるといった工夫がされています。まさに機械では作れない、神様の技を持っているのが伝統工芸士ということです。
伊賀くみひもの現在
映画の効果で組紐体験の需要は一気に高まり、現在でも国内外問わず数多くの観光客が伊賀を訪れて組紐を編んでいくようです。しかし、そういった体験需要が伊賀くみひも全体の需要を押し上げているわけではなく、また組紐を生産する伝統工芸士の高齢化も相まって地元では危機感が高まっています。
そこで様々な需要を喚起するような商品開発や、異分野とのコラボレーションを積極的に行なっていきたいというのが伊賀くみひも組合の現状となってきています。三代目廣澤徳三郎さんも、京都工芸繊維大学に出前授業を行ない全国各地から弟子を集めるなど、伊賀という地域にこだわらずに活動の幅を拡げています。
組紐の海外での新展開
全国や海外に組紐の制作者は拡がりつつあります。例えばNIKEでは、組紐のコンセプトをシューズのデザインに取り入れて、靴紐を編むような商品を出していたりします。同様に有名デザイナーが自らのコレクションに組紐を取り入れるといった展開も出始めています。
組紐の文化はアジアや南米など世界各地に点在しており、それらを統合するための組紐学会も発足しています。2019年は伊賀で開催されるそうなので楽しみですね。
生涯現役・女性活躍としての伝統工芸
組紐をはじめとした伝統工芸は、家内工業に端を発するためにシステムそのものが分業・副業に適したものとなっています。実際に伊賀くみひもにおいても、材料となる絹糸を組合で仕入れた後に、地元の伝統工芸士に発注して出来高で支払うという仕組みで生産体制を回しています。
伝統工芸士では最高齢は90歳近い方もいらっしゃり、指先を動かすために痴呆予防にも向いているとして、近年はとくに女性中高年で新規に弟子入りされる方も増えてきているそうです。また前述したように、出来上がった組紐をさらに様々なデザインに活かすといった高付加価値化も進み始めており、現代の価値観に合わせた組紐の技術の活かし方が模索されています。