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不思議の国・日本を旅した英国人

イザベラ・バードという英国人女性をご存じでしょうか?明治時代の1878年、西南戦争が起こった翌年に日本にやってきて、東北~北海道に至る奥地を旅した冒険家です。当時の日本の様子を脚色なく表現した内容は、日本人こそが知るべき隠された歴史と言えるでしょう。

賊軍の地として虐げられた東北地方

イザベラ・バードは文明開化に沸き立つ横浜に上陸後、東京を経て日光に向かいます。日光には2週間程度逗留し、東照宮や中禅寺湖、奥日光の景勝地を巡っています。バードが宿泊したのは現在の金谷ホテルの前身となる外国人向けゲストハウスであり、当時のバードとの交流がその後の観光地としての開発に繋がっています。

その後、敢えて厳しい山道が連なる会津道を選び、バードは北上していきます。そこでバードが見た景色は、梅雨の増水に見舞われた鬼怒川沿いの自然と、貧しさと疫病に悩む地域住民たちです。実際にこの道中でバードが宿泊する宿では、蚊や蚤といった害虫と人々の好奇の目に悩まされ、味気のない食事が続くといった生々しい状況が描かれています。

そこに暮らす地域住民たちはほとんど裸同然の格好をしており、天然痘や皮膚病に侵され、煮炊きの煙によって眼病を患うといった、悲惨な暮らしをしていました。戊辰戦争に負けたことにより重税を課せられ、死と隣り合わせの状況下にある人々はどのような表情をしていたのでしょうか。

貧しく厳しい生活下においても、そこで出会う人々は見慣れぬ女性外国人に対して親切かつ丁重に触れ合う様子が描かれています。善意に対する返礼としてのチップも受け取ろうとせず、子どもたちを大切に育てている当時の善良な人々の日常生活の様子が垣間見えます。

私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。

侵されつつあるアイヌの地へ

さらにバードは北上し、ついに北海道に足を踏み入れます。戦争の傷跡も生々しく残る箱館の地から、先住民アイヌの住む平取へと足を進めます。その時点ですでにアイヌ民族は1万2000人程度まで減っており、同化政策が推し進められようとしている段階にありました。「日本は単一民族である」という明治政府の方針と、現実としての住む地域によって異なる人々の暮らしぶりは、日本本来の多様性を映し出します。

外国人の目から、この多様性を画一的に塗りつぶそうとする行為を批評的に描かれている内容は、現代に生きる我々日本人にとっては貴重な資料となりますし、実際に教科書で習う歴史とは違う物語が日本各地に存在した事実を興味深く伝えています。とくに東北以北は識字率も低く、当時の民俗や伝統文化が書き記されてこなかった経緯もありますから、海外にこのリアルな情報が伝え保存されてきた事実はもっと多くの人にも知っていただきたいです。

この4ヶ月にわたる日本奥地紀行の内容は、マンガ化もされています。バードが可愛らしい若年女性冒険家となって、通訳の伊藤が長身のイケメンになっているといったデフォルメはあるとして、文章から想像される情景を正確に描写している点で読みやすい内容となっています。こちらも是非、読んでみてください。



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