マウンティングするおっさんの猿DNA
年始に話題になったnoteは、おっさんによるセクハラ・モラハラ・パワハラという炎上しやすいネタについて、主語を大きめに語っているために賛否両論巻き起こっています。もちろん、このnoteにおいては金銭の貸し借りといった負い目に付け込んで露悪的に悪口や皮肉を並べるおっさんの姿が印象的です。
この話題に関連する内容は以前も書いている通り、都市部においても存在しています。そして、昨年は電通をはじめとした都心の超一流企業でもムラ社会的なマウンティングが行なわれていた、という事実が日の下に晒されました。
おっさんにとっての屈折した愛情表現が皮肉や悪口によって形成されているのは、自分自身にも少なからずおっさん成分が入っているから分かるのですが、それに免疫がなくなってしまうと毒となります。逆に田舎で日常的におっさんの悪口を聞いている人たちは免疫ができてしまい、敢えて注意しないのでしょう。
おっさんは可哀想な立場
むしろおっさんに対して、冷静に平均余命が何歳だからいい加減酒とタバコは控えて、相続財産の試算を始めて必要があれば信託してもらえれば運用するわ、くらいのことが言い返せるようになると、立場が逆転していくことでしょう。正月に他人の家に上がり込んで酒を飲んでグダを巻いているくらいですから、自分の子どもたちからは相手にされていないからです。
そしてこういったおっさんは死ぬまで治らないので、天動説と地動説のように旧い価値観が死に絶えるまで待つしか根本的には是正されません。そのためには、我々の世代がこのような風習を次世代に伝えないように心がけるのが重要なのですが、同世代でも意外と根強く他人のプライバシーに土足で入り込んでくる人たちも存在します。
伝統と背中合わせのマウンティング
最近のニュースで言えば、日本相撲協会の貴乃花親方を巡る処分もムラ社会におけるマウンティング的な経緯があります。被害者側にも関わらず、非協力的で外部に情報を漏らして混乱を招いたという、秩序を乱した罪を罰した形です。伝統的な社会においては多かれ少なかれこういった不文律とも言える規則があり、そこに抵触してしまうと猛反発を受けるのです。
それは人間がサルだった頃から持っている危機回避への本能とも言えます。何かしら、群れの調和を乱すような存在がいれば存亡の危機に陥るわけですから、それを排除しようというのはとくにボスザルにとっては至上命題となります。DNAレベルで植え付けられた本能に対して、理性的に対処するのではなくもはや存在しないものとしてスルーする、それもある意味の進化だと思うのです。