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西表島に隠された哀しい歴史

西表島に行きました。エコツーリズムの聖地として、ピーク時には年間約30万人の観光客が訪れていましたが、近年では20万人程度に落ち着いています。イリオモテヤマネコに象徴される貴重な生態系や、あまり人の手が加えられていない砂浜など、まさに自然環境が育んだ奇跡的な風景を堪能しました。

西表島に大自然が残る哀しい理由

沖縄本島に次ぐ面積にも関わらず、1963年にマラリアが根絶されるまで、この島に定住することは難しかったようです。実際に琉球王朝時代や、旧日本軍の施策で何度か他の島からの強制的な移住が試みられましたが、その度に壊滅的な被害を受けていた歴史があります。そのために貴重な自然環境が維持され、イリオモテヤマネコのような希少種も残りました。

とくに「戦争マラリア」と呼ばれる悲劇は、太平洋戦争のさなかに八重山諸島とくに波照間島から全島民1590名が西表島へ強制的に移住させられたもので、1587名がマラリアに罹患、477名が死亡するという悲惨な結果となりました。

西表島には炭鉱があった

西表島には沖縄で唯一の炭鉱が存在していました。しかし、この炭鉱は30cm程度の薄い層となっており、決して生産性は高くありませんでした。坑夫は台湾や東南アジアから半ば強制的に連れてこられ、その多くがマラリアによって命を落としたと言います。

台湾などで犯罪者や多額の借金を持つ人に対して、高い給料がもらえると騙してこの西表島に連れてきて、そこまでの交通費や宿舎の家賃が最初から借金として課せられ、給与として渡されるのは島のなかでしか使えない切符といった状況で、逃げ出そうにもジャングルになっているのでいつしか「緑の牢獄」と呼ばれるようになったそうです。

沖縄本島と八重山諸島に残る格差の二重性

西表島に限らず、八重山諸島は琉球王朝から重い人頭税を課せられてきた歴史があります。琉球王朝自体が薩摩藩から重い貢納を求められていたこともあり、それらの負担をさらに八重山の人々に求めるという構図です。これは現在でも同様の経済格差が残っており、この美しい風景を苦難の歴史が彩ってきた経緯があります。

本土を守るために戦争の決戦地にされた沖縄、さらに八重山諸島は辺境の地として過酷な経験をしてきました。明るく輝く太陽とどこまでも続く青い海の先には、我々が学ぶべき重要な教訓が存在すると考えています。

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