ゴジラ・小池百合子・ポケモンGO
この数週間で大きな話題となったもの、ポケモンGOとシン・ゴジラについてはここでも書いてきました。そこに小池百合子さんの都知事選もプラスして、いくつか考察していきます。ちなみにタイトルは『原発・正力・CIA』をもじっています。
大衆を扇動するアプローチが変わった
映画『シン・ゴジラ』に象徴的なシーンがあるのですが、ゴジラが現れたときに一般市民は逃げるよりも先にスマホをゴジラに向けて写真を撮る行動を行なっています。同様に、ポケモンGOがリリースされたときにはFacebookなどのタイムラインは画面キャプチャが多くUPされ、小池百合子候補は緑をイメージカラーとした支援者層の拡大によって写真映えする選挙運動を行ないました。大衆自らが発信者となって、口コミで友人知人に拡大していく様を上手く仕組みのなかに取り込んでいると言えます。
『シン・ゴジラ』においても予告編を敢えてつまらなく、前評判を悪くすることによって口コミの力を最大限効果的にできるようにした、という指摘がなされています。つまり、これまでは与党や大手企業がマスメディアに対して大きな予算を付けてプロモーションを行なうという上から下への情報のシャワーが逆転し、大衆に対していかに自ら発信させて口コミの波及効果を拡大させていくかという、下から上への情報流通の噴流へと構造転換しているのです。
小池百合子候補にしても、自民党からの推薦を得ずに「崖から飛び降りる」と言って立候補したわけですから、潤沢に選挙資金が使えたわけではないでしょう。しかし矢継ぎ早にニュース映えするような情報提供を行なうことで報道番組で自身を露出させ、都議会自民党を仮想敵として悪者にすることで結果的には投票率を10%程度押し上げる程度に無党派層を取り込むことに成功しました。
著名コンテンツをオワコン化させないために
ゴジラ、ポケモン、小池百合子、この3つに共通点を見出すとすれば、知名度が高いものの一昔前のコンテンツという印象です。ゴジラは怪獣映画の雄として誰もが知ってますし、ポケモンはゲームボーイ世代なら通ってきた道、小池百合子は女性宰相にもっとも近いと言われていました。そして、最近では過去形で語られることが多かったいわゆるオワコン化していた一時代前の著名コンテンツと言えます。
誰もが知っているにも関わらず、一部コアなファンや支持者によってのみ支えられるマニアックな存在になりつつあったのも共通していて、それを打開するためにはインターフェースやアプローチを変えるといった抜本的なイメージ刷新が必要とされました。ゴジラではエヴァンゲリオンの監督である庵野秀明氏を迎えること、ポケモンではスマホという新たなインターフェースを導入すること、小池百合子では国政から地方へと飛び出すことがそれに当ります。それもある程度ギャンブル的要素があり、不確実性からチャンスを掴むことに成功しています。
ゴジラは怪獣から巨大不明生物となって人間ドラマ中心のコンテンツとなり、ポケモンは街を歩き回ってモンスターをゲットするゲームとなり、小池百合子は古い都連自民党を中心とした都議会に立ち向かうジャンヌダルクとなることで、自らを縛り付けていたイメージを刷新することに成功しました。
熱しやすく冷めやすい大衆に当事者となってもらう
まとめます。情報流通の流れが変わったことにより、これまでマスメディア主体だった政党や企業のマーケティング構造に変化が起きる可能性が高いです。もちろんIT業界では何年も前から言われ続け、期待されてきたことなのですが、これだけ同時多発的に様々な業界で効果的な動きが出てくるのは分水嶺に差し掛かった感があります。
ファンや支援者が自らコンテンツを宣伝して広め、頼んでもいないのにその素晴らしさを解説してくれるといった当事者になってもらうことで、瞬間最大風速的なロケットダッシュよりも長く継続して人気を維持するようなコンテンツ消費へと方向性が変わってきています。ある意味ポピュリズムであり、偶像崇拝的な側面も孕むため、コンテンツには潔癖性とファンからの声に応え続けてくれるような双方向性が求められるでしょう。そしてその期待に応えられなくなった途端に、コンテンツは突然死を迎えるような怖い時代になったとも言えます。
そしてコンテンツ消費の在り方についても、消費者が投入可能な資源としての可処分時間が侵食され、マスマーケティングのような大きな経済規模による仕掛けが成り立ちにくくなっています。つまり、消費のデフレ化が進む方向性が予想できるのですが、その辺りの経済予測はまた別の機会とします。