「起業家精神」を養うために必要な教育とは
政府は「新しい資本主義」実現のための政策の一環として、5ヵ年計画でのスタートアップ育成を目指しています。文部科学省では、小中学校での起業家精神育成プログラムを実施する等の予算化を検討しており、早い段階からの起業人材育成を後押しする考えです。
起業家教育では大人の自慢話をさせない
大学教育に携わった経験から危惧しているのは、これら起業人材育成プログラムに起業経験者を呼んできて、自己満足的な自慢話を事例紹介と称して開陳することにはまったく意味がないどころか、害を及ぼすケースがあることです。
記憶に新しいところでは、早稲田大学の社会人講座で当時の吉野家役員が不適切発言を行なったケースもあります。少なくとも日常的に教育者としての訓練を受けていない人が教壇に立つと、話を盛ったりN=1の特殊事例を一般化したりといった、あまり参考にならない講義に終わります。
起業家と企業家、スタートアップとベンチャー
そもそも起業家と企業家、あるいはスタートアップとベンチャーといった言葉は混同して使われがちです。シュンペーターが定義した「企業家精神」では、異なる要素の新結合がイノベーションであり、それを担う者こそが企業家であると言われてますが、現代においてはもっと細分化されてきています。
0→1を創出するような企業家と、1→10に拡大させる起業家、そして10→100へと成長させる実業家はまったく性質の異なる役割が要求されます。そして、近年の日本社会においてIPOを目指すようなスタートアップと呼ばれる新興企業は、大半が代理店や人材派遣、コンサルといった1→10の部分にフォーカスした存在であることは否めません。
つまり起業家とは、あるビジネスシーズを受託して、それを普及させるために死ぬほど頑張る、労働集約的側面を持った根性論に支配された存在という共通認識が、逆に本来的に重要な0→1の才能を潰すといった光景がそこかしこで見られます。
企業家教育に金融やマーケティングは必要ない
最近では三角関数よりも金融教育の必要性を訴える政治家が出てきていますが、個人的には起業家よりも企業家を育成するためには、もっと基礎科目を充実させるべきだと考えています。算数のように数式のなかから法則性を導き出して一般解を得るやり方や、理科のように観察や実験を通して自然現象の仮説検証を行なうプロセスは、絶対的に企業家を生むことに繋がります。
もちろん日本というある程度均質な1億人が存在するマーケットでの資本主義社会においては、金融による投資や産業育成だったり、マーケティングによる市場創出や需要拡大が経済活動を最大化させるために重要な役割を果たします。日本の経済を活性化させるためには、「起業家教育」をより進めてスタートアップを増やすことが国益に適うのでしょう。
しかし少なくとも「新しい資本主義」を標榜する教育改革においては、異なった課題を結び付けて事業を創出する企業家を増やすことこそが最重要な施策であると考えます。AIや科学技術を使いこなすのは、あくまで人間の意志であり、その0→1の部分の未知への知的好奇心や探究能力を持つ企業家こそが希少な存在なのです。
課題先進国と言われて久しい日本社会においては、世界の高齢化や環境に関する課題をいち早く解決するような、イノベーションこそが未来の国際的な存在価値に繋がります。新しい種を蒔かないことには、いくら肥料や水をやっても花は咲かないのです。