板橋チャーハン狂想曲とポスト資本主義
昨秋に『マツコの知らない世界』というテレビ番組で「知られざる板橋チャーハンの世界」という特集が放送された。一般的な中華料理屋のパラパラ炒めたチャーハンではなく、水分多めでふっくらとした“しっとり系チャーハン”が紹介され、それとともに数件の板橋区内のお店が登場した。
その後、紹介されたお店は平日でも大行列が続き、また路上駐車や大人数での場所占有といった問題が発生した。マスメディアに登場すると起こる問題としては代表的な例であろう。これが匿名性の高い都心の一角であれば、店側としても道路などに行列することを黙認しつつ、客が増えることを素直に喜んだことであろう。
常連客のために座席を区別する店
この板橋チャーハン狂想曲においては、板橋区内の店側もいろいろ苦慮していたようで、ある店では常連客のために一部の席を確保しておくといった対応をしていた。大行列を横目に、常連客は待たずにその席へと案内されるという仕組みについては、待たされている客からはクレームが発生していた。
店側にとってみれば、恐らく一見さんである行列に並んでいる人たちよりも、定期的に通ってくれている常連さんを大切にする方が重要なのだろう。そしてこういった地域コミュニティと繋がったお店だからこそ、長年愛され続けてきたとも言えるわけで、すべてのお客を平等に扱うことは店にとっては合理的ではなかったということだ。
地域において持続する資本主義とは
これがたとえば都心のお店の場合、客単価×回転率で坪や時間当たりの売上げを最大化させることが合理的なので、新メニューやキャンペーンを次々に発表して目新しさによって一見さんを大量に呼び込むことが重要な戦略となる。それがこの都下の住宅街の中華料理屋では、別のロジックが働くようになる。
つまり、この中華料理屋においては、売上げや来客数を最大化させる拡大型資本主義ではなく、地域における持続的資本主義が重要であると認識していることになる。それは金銭的にカウントできるものではないが、常連客は今後も長期的に店に来てくれるであろう信頼と、この店に来ればいつもと同じ味が食べられるという相互の暗黙の了解が存在している。
社会的共通資本(Amazon)
社会的共通資本とは、「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的・安定的に維持することを可能するような自然環境や社会的装置」を指している。それは例えば地域において常識的に認知されているコミュニティの機能であり、中華料理屋がそこで商売をするのに必要な信頼性や親しみといった精神的基盤である。
これまでの商店街のような個人商店においては、じつはこの社会的共通資本が存在しており、地域住民には店に対する愛着と日々のコミュニケーションを提供していた。それがコンビニやショッピングモールといった規格化された小売業が地域に進出することによって、この目に見えない資本主義は失われていった。
今後のビジネスにおいては、希少性が高くなるのはむしろこの社会的共通資本をいかに表現するかであろう。そこで食べられるものが地域と繋がっているのか、そこで消費することが目に見える人々を喜ばせるのか、変わらず存在し続けることによって愛着や信頼が醸成されるのか。狂想曲がようやく落ち着いた店でチャーハンを食べながら考えた。