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21世紀の京都学派?欧米へのアンチテーゼとしての社会的共通資本とは

京都大学人と社会の未来研究院社会的共通資本と未来寄附研究部門特別シンポジウム『進化する社会的共通資本』に参加してきました。何とも不思議な内容で、まだ感想はまとめきれていませんが、とっ散らかった思考のまま書き残しておこうと思います。

社会的共通資本とは

日本の経済・社会学者 宇沢弘文氏が提唱した、「すべての人びとが、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会を持続的、安定的に維持を可能にする自然環境や社会的装置」と定義される社会システムの基盤となるもので、現在のSDGsの原点とされています。

なぜ京都大学が寄附講座を持つのか

現在、京都大学を含む国公立大学は国税を原資とした運営費交付金が漸減しており、自主財源の確保が求められています(私自身も国立大学教員時代に要求されました)。一方で京都大学は、国が世界最高水準の研究支援のために設立した10兆円ファンドから落選し、とくに人文系の学問領域にとっては研究資金確保が厳しい状況となっています。

多くの大学では文理融合の学際領域の拡大や、企業と結び付いた応用研究など、”分かりやすく”世の中に役立ちそうな分野が増えてきています。しかし大学の本質的な価値とは、むしろ基礎研究や様々な理論の発出にあるはずで、そのための原資としてたくさんの個人・法人からの寄附を集めることで、安定的かつ草の根型の研究活動の実現を目指しているものです。

社会的共通資本の源流にある西洋思想批判

今回の特別シンポジウムでは、研究者や実務経験者による研究内容や事例報告がありました。そこに通底していたのは、西洋とくにアメリカ由来の消費社会や効率・経済性重視の考え方に対する批判です。引用されている文献の中では、『負債論』『ブルシット・ジョブ』を記したグレーバーなど、従来の西洋主導の資本主義論・民主主義論を覆すような内容も含まれてました。

対する代案として、森林資源の活用だったり里山資本主義のような考え方が取り入れられていたのは、まさに「西洋は行き詰まり東洋こそが中心たるべき」との大東亜思想に行き着いた京都学派の再来を思わせるものです。大きな潮流としては、斎藤幸平氏に代表されるようなマルクス主義の再評価の動きがありますが、それとはまた違ったアプローチに感じました。

進化とは線形的な改良・発展ではない

今回の特別シンポジウムの名称にある「進化」という言葉は、よくビジネスなどにも引用されるダーウィニズムの誤用が多いものでもあります。我々は進化という表現がより良くなっていたり、何かしらの形質が便利に変化していくといった印象を抱きがちです。しかし生物学的には、四本足を退化させて背びれを持って海に還ったクジラも一つの進化であり、つまり環境にとって生存しやすい形質を獲得することこそ進化と呼びます。

イーロン・マスク氏に代表される加速主義の考え方は、情報技術の発展によってAIが人間活動の大部分を代替するようなSF的価値観を内在しています。このシンギュラリティが果たして人間の形質をどのように変えていくのか、それは一つの進化の形ですが、それとともに我々は社会の分断や不安定化といった副作用も同時に体感しています。それらは決して人間にとって棲みやすい環境を実現するものではないでしょう。

昔ながらの集落=ダンバー数

特別シンポジウムの冒頭で、霊長類の生物学者である前京大総長の山極先生がダンバー数に関する話をしていました。150-200という、人間も含めた霊長類の群れの最適なサイズは、軍隊の中隊から企業の部門に至るまで多くの組織で採用されているものです。それを遡っていくと、様々な集落の最小単位も150-200人であると理解できます。

この翌日に琵琶湖に浮かぶ有人島・沖島に行ったのですが、ここでも世帯数は50程度で、定住人口としては150-200人程度でした。石工職人に端を発し、現在では漁労を主な生業としている小さな島において、各戸のサイズはほぼ同じであり漁獲量や船の運航なども平等を前提に取り決められていることが見て取れました。まさに『民主主義の非西洋起源』的なグレーバー理論の実存がそこには存在していたのです。

日本社会に根付く社会的共通資本とは

このような日本各地の様々な地域の現状や資源を知る立場として、社会的共通資本≒SDGsの思想を日本の実存として広めていくアプローチは面白いと考えています。いわゆる統治の仕組みとしての共和制⇒代議制民主主義という”正史”に比べて、あまり文献の残っていない草の根の民主主義は宮本常一氏の著作などにも多くみられる多様性です。

しかしながら日本の集落における平等主義が、決してユートピア的な価値観から来ているわけではないことも注意が必要です。むしろ薪炭や土地利用≒社会的共通資本の制約から集落の戸数を制限し人口を抑制してきた歴史が大部分だからこそ、集落には世間という閉鎖的かつ相互監視のメカニズムが強く働いてきました。そして世間体を気にする性質は、我々現在の日本人にも色濃く残っています。

日本東西のデモクラシーの違い

また東日本と西日本でも、この社会的共通資本に対する民主的アプローチの差異が感じられます。鎌倉以来の武家・封建制の統治下にあった東日本と、海運や商業が主だった西日本の平等・世間に対する捉え方は異なるわけで、そこに明治維新以降の廃仏毀釈と戸籍の整備というイベントが絡んできます。

江戸時代の宗門人別帳による檀家制度が残る寺院のタテ社会的な東日本のアプローチと、ある程度荘園という私有財産に基づいた神社の氏子制度が多いヨコ社会の西日本のアプローチでは、そこでのデモクラシーも違ってくるでしょう。それら住民たちのリソース配分と社会的共通資本としての森林や漁労といった公共財の扱いなどは、今後研究していっても面白そうです。

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