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日本の温泉を発見した、2人の偉人

日本人の温泉好きはいつから始まったのでしょうか?古くは日本書紀や万葉集の時代から記述が残っているようです。また道後温泉や有馬温泉などは、天皇や皇族が行幸に滞在した記録もあります。いずれにしても有史以来、私たちの先祖は温泉に慣れ親しんできたのは間違いないようです。

仏教の療養・湯治場としての温泉

鎌倉時代までの温泉は、病気や高齢の療養の場として使われる場合が多かったようです。仏教において、入浴は病を退け福をもたらす行為として奨励されてきました。僧侶は医療者としての側面も持ち併せており、貧しい村々を回って布教活動に励むとともに、病人や貧しい人々に対しても治療行為を行なっていました。そこで役立ったのが温泉であり、付近において湯治場を積極的に見つけていったと言われています。

そのため、平安~鎌倉時代において各地で開湯伝説が伝えられるようになります。その際に発見者として多く挙げられたのが、教祖である弘法大師です。もちろん本人ではなく弟子や教徒が発見したものが大半でしょう。弘法大師が発見した温泉としては、湯布院温泉や塩原温泉、修善寺温泉、箱根温泉、龍神温泉など、関東・東海から西日本にかけて広い範囲で伝承が残っています。

また、行基も開湯伝説のみならず、橋や貯水池を造った土木技術者的側面が知られていますね。行基が発見した温泉としては、草津温泉や野沢温泉、山中温泉など主に山間部の地域が多いようです。

蝦夷の地を開拓していった英雄

東北地方に行くと、別の開湯伝説を多く見聞きするようになります。征夷大将軍・坂之上田村麻呂です。実際に坂之上田村麻呂が発見したと言われる温泉は花巻温泉や四万温泉、男鹿温泉などが挙げられます。また福島県内にも数多く、坂之上田村麻呂伝説が残っており、田村市はそこから自治体名を取っています。

この蝦夷遠征は征伐というよりは、屯田開墾といった様相で進められました。縄文的暮らしが色濃く残っていた東北地方に、弥生的な稲作文化が普及していき、それに伴って新田開発や治水、街道設営といった形で大和朝廷の中央集権体制へと組み込まれていったのです。そんな土木開発の労働者としての屯田兵にとって、温泉は旅と労働の疲れを癒す場となったことでしょう。

宗教的・民俗的価値観と強く結びついた温泉

このように、仏教や稲作といった日本人の根源的な思想と結びついた温泉は、いつしか多くの人々に安らぎと憩いを提供する場として位置づけられるようになりました。多くの火山に囲まれた島国において、温泉は自然からの恵みとして畏敬の念とともに先祖たちの心と身体を癒してきました。

温泉はこのような宗教的・民俗的価値観と強く結びつくとともに、地域における情報交換や友好のコミュニティ拠点として機能していたに違いありません。日本人の温泉好きというのは、このような過去からの記憶と楽しみによってもたらされてきたのでしょうね。

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