さよなら、地方創生。
NewsPicksの広告を眺めていて、妙な既視感を持ちました。「おじさんだと親しみがあるけど、おっさんは蔑称だ」「女性や若者の中にもおっさん要素は存在する」といったエクスキューズが挿入されている時点で、対象範囲を明確に定義せず、バズワードとして流布させることを目的としていると理解できます。
おっさん=地方?
「おっさん」を「地方」に置き換えると、課題がたくさんあって構造的に変化が困難な対象が浮かび上がります。主語の大きな表現には、そこに対するエクスキューズも共通しています。「地方という表現は構造的で地域とは本来は情緒的だ」「東京にも地域はある」、、こういった粒度の言葉の使い方になると、個別具体的な議論に発展することはありません。
少なくとも「地方創生」というバズワードが日本各地を駆け巡り、それぞれで住民ワークショップや研修が行なわれたわけですが、果たしてどれくらい成果があったのでしょうか。大山鳴動して鼠一匹というような感じで、実現不可能な目標を盛り込んだ計画が作られたり、時間を経るにしたがって骨抜きになって自然消滅した取組みがほとんどなのではないでしょうか。
対立構図に乗せられないために
記憶に新しいところでは、小池百合子都知事を中心とした都民ファーストの会のように、旧態然とした対象を仮想敵として自らを革新的なイノベーターと自称する行為は、いったん歯車が逆に回転し始めると途端に勢いを失って見向きもされなくなります。対立構図による分かりやすさは、課題の現場に近いところにおいては何のプラスにもならないどころか、余計な手間を増やす邪魔な存在です。
対立構図の中で自らの正しさを証明することに躍起になっている暇があったら、自らの取組みの歩みを一歩でも進めることに注力した方が建設的だし、後々においてその地味だけど重要な積み重ねが大きな差になることは、我々は良く知っています。さよならすべきなのは、耳目を集めるキャッチフレーズ型の扇動なのではないでしょうか。
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