天才による芸術と、庶民による民藝
有楽町の無印良品で開催されている「民藝運動フィルムアーカイブ」を観てきました。戦前の伝統的な暮らしの面影が残る民俗的にも貴重な映像とともに、柳宗悦らが「生活美」と称した日常生活に宿るちょっとした華やかさを表現した内容は、大きく興味をそそられるものでした。
モノは使ってこそ美しい
観賞用として美術館や棚に飾られる芸術品とは違い、日々の暮らしを彩る質素な実用品は組み合わされてこそ美しさを発揮します。食材に合わせて器を選ぶ、用途に合わせた機能を持つ、それぞれが持ち主や周囲の生活環境に応じて馴染んでいくことで唯一無二の存在となっていきます。
地元の土を練り、様々な材料から抽出した釉薬で彩る土着の陶器は、それこそ全国各地に存在します。そして冠婚葬祭では先祖代々受け継いできた漆器を使ってささやかな祝いをするという、ハレとケにこそ生活美が宿るのです。
天才芸術家たちと交流した宗教哲学者・柳宗悦
こういった柳宗悦らの民藝運動に、ロダンやゴッホといった西洋の天才芸術家との交流が原点にあったことは意外でした。Slipwareのような西洋における陶器の独自進化を見聞きし、自らの活動に反映させることによって実は足もとにある生活美に気づくといった流れは、宗教哲学者であった柳宗悦だからこそでしょうか。
今でこそ自己実現や個性が大事といったキリスト教的な考え方が一般的になりましたが、大正時代はまだまだ日本においては儒教的な父性社会でした。抑圧された中に日常的な楽しみを見出す感覚は、極めて民主的な活動に感じます。名もない生活者がより良い暮らしを求めるプロセスにこそ生活美が宿ります。
ていねいな暮らし、という価値観
近年ではファストフードや大量生産品といった工業的な物質社会に囲まれる生活を見直す動きも出てきています。もちろんそれらの利便性を享受することで発展してきた社会でもあり、その存在を否定することはできません。ただ選択肢として、生活美を自らの暮らしに採り入れることは豊かさを表現する手段となることでしょう。
器があることで料理が楽しくなる、道具が暮らしに馴染んでいく感覚を取り入れることに喜びを見出すのは、私たちが先祖から贈られたギフトなのだと思います。