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五輪騒動に学力の衰退を憂う

森喜朗氏が五輪組織委員会会長を辞任し、その後任人事について混乱が続いています。当初は密室で川淵三郎氏への禅譲が進められようとしましたが、そのプロセスを問題視されて白紙に戻されました。

ジェンダー以前にムラ社会から脱却できてない

この問題を見聞きするにつけ、日本の知性が劣化していると世界に対して表明しているようなものだ、と感じてしまいました。国際大会の顔役である組織委員会会長のポストが、まるでムラ社会の長を決めるようなプロセスで担われていることが明らかになったからです。

それは川淵氏から洩れたコメントからも推察できます。「森さんが泣いた」「人生最後の大役」といった、国際標準のガバナンスとは真逆の浪花節のような感情論で、果たしてこの国際大会のマネジメントが務まるでしょうか。

思えば、森喜朗氏の産経新聞入社や首相就任といったエピソードを見聞きするにつけ、能力や適格性ではなく人間関係や駆け引きでキャリアを築いてこられたのだと理解できます。つまり、ご自身が辞任に追い込まれた理由を正直納得できていないのでしょうね。

能力や適格性で判断しなければ学力が不要になる

このような前近代的な価値観は未だに根強く、企業においても役員の出世は代表取締役の一存で決められたり、前任者による長老政治が残るような組織は多いでしょう。そのようなウェットな人間関係によって出世が決まるのであれば、その職場では能力や成果よりも飲みニケーションや日頃の付け届けといった密室のなかでのやり取りが重視されるようになります。

能力を向上させることなく変化を好まない職場においては、長時間労働を厭わない男性社員が優遇されることとなります。結果として、女性が機会を失うことに繋がり、組織としてのダイバーシティが失われていきます。学び続けない人々がポストを独占することで、その企業は競争力がなくなっていくことになります。森喜朗氏が浮かび上がらせたのは、このような日本の組織における前近代的な価値観なのです。

日本全国で「知の過疎化」が始まっている

一部の企業や組織が前近代的な価値観に支配されているのであれば、それらが衰退するだけなのでまだ良いでしょう。問題は教育を受ける子どもたちがこれらの価値観に染まった親や教師によって、学力向上に消極的になってしまうことです。「勉強してもしょうがない」「良い大学に行く意味がない」といった、知識軽視の風潮が全国の教育現場で起こりつつあります。

善悪の判断のつく前の子どもたちに対して、これら大人たちの価値観によって知識向上の機会が奪われてしまうことは、人が資本である日本全体の競争力低下に繋がってしまいます。とくに地方の子どもたちにとっては、周囲にロールモデルが存在せず学力向上するメリットを実感することが難しいでしょう。とくにコロナ禍において保護者の経済状況が厳しくなれば、教育費は真っ先に削られてしまうかもしれません。

森喜朗氏を非難することは簡単です。でも私たち一人ひとりの中に小さな森さんがいることも自覚した方が良いでしょう。女性蔑視発言はあくまで表面上の問題であり、むしろ脱却すべきは前近代的価値観に縛られた社会において、未来の選択肢が狭まることなのではないでしょうか。

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