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移動しない北海道民と固定化されるヒエラルキー

北海道の自治体アドバイザーをしていた頃、地域住民が意外なほどに移動しないことに驚きました。札幌に住んでいる人は、北はせいぜい旭川、東は帯広までしか行ったことがないと言います。私が嬉々として稚内の最北端や根室の最東端に行ってるのを奇異な目をして見ていました。

ウィンタースポーツのフィジカルで選別される社会

北海道民はホントに移動しない、その特殊性はもっと語られるべきと思います。幼稚園からずっと同じ顔ぶれの同級生の中で、校庭に山がある小学校では幼い頃からスキーやスケートの特訓を強制され、そこから選別されたエリートが冬季五輪を目指すといったヒエラルキー構造が出来上がります。冬季五輪で活躍した高木姉妹や高梨沙羅選手はもちろん輝かしい存在ですが、当然のようにそこから脱落する者の方が多い上に一面的な能力主義による弊害は大きなものがあります。

小学校では足の速い子がモテるといった傾向は、地域性があるものだと思います。大阪だともしかしたら面白さみたいなコミュニケーション能力でスクールカーストが出来上がるかもしれないし、愛媛の野球や静岡のサッカーのように、運動能力でセレクションをかけている地域もあります。個人的には東京で中学受験して私立に進学した立場ですが、そこでも薄っすらとフィジカルでのヒエラルキーは存在していました。でもその脇にはオタクの道もあったので、そちらで楽しく学校生活を送りながら現在に至ります。

フィジカルではない多様性を地方でいかに担保するか

この話題の主題は、教育によって文化の多様性を担保せよというものです。そこに高等教育の果たすべき役割についても言及されています。確かに地方ではフィジカルでのヒエラルキーが幅を利かせていますが、都会だって偏差値によるヒエラルキーが厳然と存在しています。問題はそこから弾かれた子どもたちの居場所がない、自尊心を満たす手段が限られるということでしょう。

文化とは、能力を発揮する分野を選択できる多様性をいかに広く担保するかという課題だと認識しています。当然、生活圏内にこれら文化を体感できる環境が用意されていることが望ましいです。幕の内弁当のような地方国立大学ができることは何か、ここにヒントがありそうに感じます。

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