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「弱者を抹殺する」が間違っている理由

一年前に相模原の障がい者施設で殺傷事件がありました。犯人が口走っていたのが「弱者を抹殺する」という言葉。道徳的にはもちろんですが、生物学的にも不適当な発言と言えます。

例えば近眼は、江戸時代まで瞽(めくら)と呼ばれて障がい者扱いされてました。肉体労働が中心だった社会においてはあまり役に立たず、穀潰しと呼ばれることもあったとか。眼鏡が開発されて、多くの人々が知識社会においては活躍できるようになりました。

もはやパラリンピックの記録がオリンピックを凌駕するような時代において、障がい者の肉体的ハンディキャップを克服するような社会システムをつくっていくことは、高齢化や人口減少に対応していける先鋭的課題解決の分野です。センサ技術やロボティクスは日本の数少ない成長産業ですから、そこに注力すべきでしょう。

同様に精神分野についても、研究が進んでいます。それこそ脳科学とARやVRが結びついたら、新たな領域が生まれます。ノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュは、統合失調症を患う精神障がい者としても知られますが、現在では彼のゲーム理論があらゆる経済活動に応用されています。天才的数学者故に、日常生活に支障をきたすほどに幻想を見てしまったということでしょうか。

つまり、ある特定の人が勝手に他人を評価して、その可能性まで奪ってしまうことは社会的損失であり、そういった歴史を繰り返してきたからこそ民主主義社会は独裁者を阻む仕組みが幾重にも張り巡らされています。一面的な要素だけを取り出して弱者と断定するような心の弱さこそ、レイシズムやファシズムの原因となり得ると認識すべきでしょう。

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