硫黄島の捕虜暗号兵・サカイタイゾー
「事実は小説よりも奇なり」―この本を一言で評するならば、このような在り来たりの言葉になるでしょう。生還率5%の戦場・硫黄島であの栗林中将の通信暗号兵を務め、アメリカ軍の捕虜となったサカイタイゾー氏が米兵に託した2枚の写真から、様々な真実が明らかになっていきます。その流れはまるでミステリー作品のようであり、今からたった70年前に起こった地獄のような戦場における人間の葛藤と生きることの欲求が垣間見えます。
硫黄島では日本兵21,000人のうち、19,900人が死んだ
硫黄島の戦いは太平洋戦史に残る激戦であり、映画にもなっています。この島が米軍の手に渡れば本土が危険になると、40度以上にもなる硫黄分を含んだ蒸気が湧き出る土地に塹壕を掘り、ゲリラ戦を繰り広げて5日で堕ちると言われた島を36日間も死守した日本軍の戦いぶりは恐怖と畏敬の念を以って語り継がれています。
一方で「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」という戦陣訓の通り、捕虜となることを潔しとせずに決死の切り込み突撃を行なって散っていった兵士たちが大半であり、決して美談ではない狂信的な戦時日本の異常さを象徴する悲しい玉砕の島という歴史があります。
自ら捕虜となり、機密情報を漏らしたサカイタイゾー
1945年3月17日早朝、サカイタイゾーと名乗る日本兵がアメリカ軍によって捕えられます。尋問に当たったロパルド中尉はサカイタイゾー氏から2枚の写真を預かり、家族に渡してほしいと依頼されます。1枚はサカイ本人と妻そして子どもの姿が写っているもの、もう1枚は妻の写真でした。
それから60年以上経ち、亡くなったロパルド氏の遺志を継いだ息子のスティーブ氏が、カナダでのスキーツアーで一緒になった日本人観光客にこの写真のコピーを手渡すところからこの物語はスタートします。この写真をサカイタイゾー氏本人か遺族に返したい、出会う日本人にこの写真のコピーを手渡していたスティーブ氏の想いと著者が共鳴して、このミステリーのようなドキュメンタリーがはじまるのです。
硫黄島守備隊司令官である栗林中将の通信暗号兵として、将官と同レベルの日本軍の機密情報を知りながら自らアメリカ軍に投降して捕虜となったサカイタイゾー氏は、戦陣訓そのまま散っていった戦友たちから見れば異質な存在であり、裏切り者にも映ることでしょう。さらに尋問に当たったアメリカ兵を信頼して、大切な家族の写真を託すという行動には異常さを感じます。
硫黄島生存者たちへのインタビュー
このようなスティーブ氏の想いとサカイタイゾー氏の行動の異常さに関心を持った静岡放送の報道マンである著者は、遺族会や防衛研究所を通じて調査を開始します。ところがサカイタイゾーなる人物を知る者は存在せず、戦史にもそれらしき人物は掲載されているものの、まったくその正体は不明であるという雲を掴むような状況に陥ります。
蛆虫が湧くような泥水をすすり、死体の肉を切り裂いて被りアメリカ兵をやり過ごしたという日本兵の生き残りたちの戦争の記憶は、平和な日常を享受する我々にとってはフィクションのような、遠くの世界の話のように感じます。ところがそれはたった70年前の日本で多くの人々が経験し、その人たちが実は私たちの社会の至るところに生存して、その生涯を終えようとしているのです。
戦争体験は30代の私にとっても、2世代前を遡れば存在している事実ですが、日常生活においてはほとんど感じることがありません。亡くなった祖父母も積極的にそれらの話をすることはありませんでした。多くの日本人にとって戦争の記憶は薄れつつあり、その1つ1つの物語が人知れず消えようとしているのかもしれません。
そんな消えようとしていた記憶の中から、1人の報道マンの熱意によってサカイタイゾー氏の数奇な運命が徐々に明らかになっていきます。日本とアメリカを行き来し、スティーブ氏の持つ写真の原本の裏に書いてあった言葉の意味を知った時に、戦争に参加した1人1人の物語の意味が見えてきます。
裏切り者の売国奴か、戦争終結の立役者か
はたしてサカイタイゾー氏の漏らした情報によって太平洋戦争の早期終結に繋がったのか、あるいは自らが生き延びるために祖国を売った裏切り者なのか、今となってはその行動の真意を確かめることはできません。ただ、サカイ氏が生涯にわたって葛藤を持ちながら、戦後日本の経済発展を体感していったことは事実でしょう。
そして多くの日本人にとっても、軍国主義の息苦しさから解放されて西欧の自由民主化を享受し、生活が豊かになっていく様を受け入れていった先に今日の日本社会が存在しています。今では家族や身の回りの人々の幸せを追求し個人の価値観が尊重されることは当たり前となりましたが、多くの日本人は戦死者に詫びつつもどこかのタイミングで西欧文化を受け入れたのです。
私の祖父も生涯、沖縄の人々に対して申し訳ないと口にしていました。その生涯を通じて沖縄には観光旅行で行くことはありませんでした。そして硫黄島という激戦地の通信暗号兵であったサカイタイゾー氏だから明らかになった、このような戦時中の歴史は、恐らく人の数だけ存在しているに違いありません。「写真の裏の真実」は、もしかしたら私たち自身にも問われている、平穏の裏にある苦悩なのかもしれません。
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