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ムーンショット アポロ計画のイノベーション

大学でイノベーションに関する講義をするのに、米ソ宇宙開発戦争を取り上げています。今から50年前の1969年7月20日に、アポロ11号は月面に降下し、人類は史上初めて地球以外の星に到達しました。

米ソ冷戦の“戦場”としての宇宙

1957年、ソビエト連邦より初の人工衛星スプートニク1号打上げ成功のニュースが世界中を駆け巡ります。人工衛星の成功≒大陸間弾道ミサイルの実用化と、アメリカは一気に危機感を高めることとなります。その後、ライカという名の犬を載せたスプートニク2号も打上げ成功し、宇宙開発競争においてはソ連が優位に立ちました。

191214_イノベーションとは

米ソともに莫大な予算をかけて、また事故や打上げ失敗によって多くの犠牲者を出しながらも着実に宇宙への距離は近くなっていきました。そしてついに1969年7月20日にアポロ11号は月面に着陸し、人類は史上初めて地球以外の星に降り立ちました。その様子は映画化されており、70mmフィルムによる鮮明な映像が残っているのは驚きです。

若きケネディ大統領が宣言した「MOON SHOT」

1962年、テキサス州ヒューストンにおいてケネディ大統領は60年代のうちに人類を月に送るという、有名な演説を行ないました。その翌年、彼は凶弾に倒れることとなり人類が月に行く様子を見届けることはなかったのですが、直前にキューバ危機が起こる等、東西冷戦の緊張の高まりを受けて「アポロ計画」はスタートしたのでした。

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1958年に設立したNASA(アメリカ航空宇宙局)を中心として、マーキュリー計画(有人宇宙飛行)~ジェミニ計画(宇宙滞在)~アポロ計画とステップアップを果たしていきます。

とくに重要だったのがジェミニ計画における人間が宇宙に滞在するための様々な技術開発であり、大気圏離脱~宇宙空間における熱変化に耐え、人間が生命維持するために必要な空気・水・食料・排泄を解決し、再び宇宙から大気圏突入して地球に帰還するまでの一連のミッションを限られた船内空間で達成しました。

MOON SHOTによって起こったイノベーション

狭い宇宙船内において、月着陸という困難なミッションを遂行するために不可欠だったのは、様々な計器類からの情報を統合して計算するコンピュータでした。宇宙飛行までは熟練したパイロットである宇宙飛行士たちの経験と勘に頼ればアナログでも何とかなりましたが、月では気象条件や重力、サンプル採取といった多くの要因を分析し、行動する必要がありました。

そこで開発されたのが、AGC(Apollo Guidance Computer)と呼ばれる初の集積回路を搭載したコンピュータです。これまではメインフレームのような大型汎用計算機が主流でしたが、宇宙船内に設置するために小型化されました。初期の性能はRAM2KB、処理能力1MHzと言われ、初代ファミコン並だったそうです。最新鋭のiPhoneがRAM2GB(50万倍)、処理能力2.3GHz(2000倍以上)ですから、技術進歩は目覚ましいものがあります。

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同様に、アポロ宇宙船に搭載するために開発された技術としては燃料電池があります。現在でも非常に高価な技術となっていますが、限られた船内において電源と飲料水が得られるとして、スペースシャトルにも搭載されました。

MOON SHOTによるバックキャスティングは有効か

現代において、しばしばバックキャスティングで高い目標を最初に設定し、既存技術の積み重ねではなく抜本的にシステムを組み替える、構造変換を促すイノベーションを興すことを「MOON SHOT」と呼んでいます。しかし、この語源となったアポロ計画というMOON SHOTにおいては、人類を月に送ることには成功しましたが数多くの犠牲と莫大な予算を伴っていたことも事実です。

結果としてその後のアメリカはベトナム戦争など東西冷戦構造下における巨額の財政赤字に苦しみ、ソ連は体制自体が崩壊してしまうといった大きな副作用がありました。また、ニール・アームストロング船長をはじめとしたアポロ計画に参加した宇宙飛行士たちも、目標を失って鬱状態になったりその知名度を利用されて経済的に大きな損失を被るといった人生を送りました。

高い目標を掲げるためには、かなりの犠牲を伴う覚悟が要るという当たり前の考え方を教訓として学ぶ必要があると感じました。

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