「地方創生」の勝ち負けを分けるモノ
昨年度より、地方創生支援人材として北海道奈井江町に派遣されています。最近インフレ気味に使われている「地方創生」という言葉ですが、ハッキリと定義できているでしょうか?「地域活性化」「地域づくり」「地域おこし」といった言葉とごった煮で使われがちな傾向ですが、こういった霞ヶ関発の政策スローガンには明確な目的が存在します。
「地方創生」とは急激な高齢化と少子化といった人口構造の変化や、地方における財政ひっ迫と税収低下といった財政構造変化に対して、再編的施策を考えていく取組みとなります。具体的には自治体毎の人口ビジョンと地方版総合戦略の策定、それに伴っての地方自治法上の総合計画の見直しが主なアプローチとなります。
公務員・補助金バッシングのポピュリズム
このような地方創生の話題になると必ず、バラ撒きだ、特定の利権だといった批判が出ます。もちろん政策を批判的に検証していくプロセスは必要ですが、変化に対するネガティブな感情を発露させているだけのケースもあります。このような評論家的態度こそが、当事者意識の欠落という地方創生最大の障壁となり、いくらスローガンを掲げても地方において変革が進まなかった歴史です。
よく精査してみれば、地方創生関連予算は定常的に既存組織に流れていた紐付き補助金の組み直しであり、さらにKPIを設定して成果が出なければ予算執行もされないという、補助金行政自体を再編しているものであると気づきます。また実は、公務員主体ではなく産学官金労言という地域における民間組織による協働を掲げているため、広域連携や多様な主体者が予算獲得の要件になります。
つまりポピュリズム的に批判だけをして、まったく当事者意識の欠落した人こそが抵抗勢力であり、そのような動きによって停滞した地方は自治体間競争から脱落していく危険性があるでしょう。"Change or Die"の姿勢が求められているところが、これまでの政策とは大きく異なるポイントであると感じています。
勝ち組自治体に明確に存在するモノ
徳島県神山町は、地方創生分野において必ず採り上げられる地域です。その中心人物であるNPOグリーンバレー理事長の大南さんは、いつもそのきっかけとなったエピソードとして「青い目の人形の里帰り」をお話しされます。そしてそこで集まった地元有志が中心となり、外国人アーティストを一定期間受け入れるアーティスト・イン・レジデンスや、都市部のIT企業を誘致するサテライトオフィスといった事業に繋がっていったと説きます。
同様に北海道内で言えば、東川町は人口増加している自治体として有名であり、『東川スタイル』という独自の価値観を編み出しています。地元産の食材を使ったこだわりベーカリーや、大雪山の伏流水で淹れたコーヒーを出すカフェなど、洗練されたライフスタイルを体現できている数少ない地域です。この東川町も「写真の町」宣言から30年以上、全国の高校生を受け入れる写真甲子園を実施してきた結果、地域住民の主体性が生まれたと言います。
つまり神山町にしても東川町にしても、我が町を何とかしてやろうという当事者意識を持った住民が何人も現れて、その活動が20年以上積み重なってきたからこそ街並み景観や雰囲気、来訪者を受け入れる体制、新しいことに挑戦しようという気概が現在の地方創生時代において花開き注目されたと言えます。
IターンとUターンは違う
そして神山町と東川町に共通するのは、価値観を明確にして移住者を選抜して受け入れていることです。このような洗練されたライフスタイルを持ち込むのは、他の地域出身のIターンの人が多く、地元出身の人間をUターンさせようという部分については決して優先度は高くありません。神山町でも地元出身の若者は複雑な感情を抱いていますが、その声を慮るよりもより変化していく方向性に舵を切っているように感じます。
当然、昔ながらの商店が小洒落たカフェに変貌したり、街なかを行き交う人々に見知らぬ顔が増えることに危惧を抱く地元住民は少なくないでしょうが、変化を必然として、いつ戻ってくるか分からないUターンではなくすぐに地域に活力をもたらすIターンを増やす施策を優先しています。そのための政策は起業支援や子育て、住宅取得といった部分がメインとなります。
つまり、地域に活力をもたらしたいと動き始めた中心人物の火の人たちに対して、外部から洗練されたライフスタイルや事業を持ち込む風の人たちが現れて、その周辺には変化を望む林の人たちが蠢き始めて燃え広がり、最終的には地域でずっと暮らしてきた山の人たちをも動かすというプロセスが明確になっています。
それこそが再編的施策としての地方創生の理想形であり、地域における活力が生まれて初めて情緒的施策である地域おこしや自治的施策である地域づくりをフォローしていく戦略性が明確に存在しています。そしてそこについても、地域運営組織(RMO)といった取組みや社会的投資回収率(SROI)といった仕組みが出てきています。当事者意識を持つ地域住民が集団として動き始めれば、その資金調達は補助金であろうと民間資金であろうとどうとでもなります。
地方創生の手段は出揃った、それでは足りない
地方創生分野においては、それこそふるさと納税から農業体験、空き家のリノベーション、二拠点居住、地域おこし協力隊といった様々な施策メニューが出てきています。個別の事業については、それぞれ熱心に推進する団体や主体が出てきているので、上手く連携を図っていけば良いでしょう。しかしそれらはあくまで手段であり、目的にはなり得ません。
地方創生の目的とは何か、と言えばそこで暮らすことに幸せを見出す住民が増えることであり、個々の多様な価値観を満たすライフスタイルを実現できる地域となることでしょう。だから、移住することが絶対的に正しいわけでもありませんし、そこでビジネスを興して産業を生み出す人が偉いわけでもありません。この手段と目的を取り違えると、途端に経済合理性やヒエラルキーといった既存社会のしがらみに巻き込まれていくことになります。
スローガンではない地方創生を目指して
これまで理論的な部分から地方創生にアプローチしてきましたが、方法論は説明できてもその当事者となる人々の在り方についてはそれぞれが考えて動くしかありません。どうしてあなたはこの地域に住み続けたいのか、それを持続可能にするためにはどうすればよいか、そういった意思を共通認識として持てる地元住民はいるのか、どうやってビジョンを共有するのか、それをどのように実現していくのか、、これらはやはり日々の積み重ね以外に王道はありません。
地域で頑張っている若者を応援するのではなく、あなたが当事者として頑張ってください。移住者がやってきたけど評論家的に暮らしていけるのかと心配するのではなく、あなたの人生をこの地域でどのように全うするかを考えてください。先祖代々守り続けてきたことを言い訳にするのではなく、未来の子孫に伝承していくために変えるところと変えないところをちゃんと取捨選択してください。地方創生で問われるのは、あなた自身の幸せをちゃんと地域の中で編みなおしていくことに他ならないのです。