志村けんの遺したもの

志村けんさんが亡くなりました。1970年代生まれの自分にとっては、幼い頃はひょうきん族よりもカトケンで、だいじょうぶだぁや変なおじさんのネタも良く真似したものです。現代のYouTubeに繋がる素人投稿の映像フォーマットは、志村けんさんが発案して加トちゃんケンちゃんごきげんテレビの人気コーナーとなり、その後のテレビ業界のスタンダードになりました。

ロケ・客席イジリ・内輪ネタ

志村けんさんが開発したテレビにおけるエンターテイメントは、多岐に渡ります。それまではドリフターズのように屋内セットが中心だったコントに対して屋外ロケに出かけていったり、「志村、後ろ~」のような客席を巻き込むネタをつくったり、芸の幅を真摯に広げていきました。これらの手法はとんねるずやダウンタウンにも影響を与えています。

そして、田代まさしや桑野信義、ダチョウ倶楽部、タカアンドトシといった志村ファミリーを形成し、また優香やMEGUMI、磯山さやか、小島瑠璃子といったグラビアもバラエティもこなすバラドルというジャンルの女性たちを数多く見出しました。薬物依存で逮捕された田代まさし氏には、最期まで再起の手を差し伸べていたと言われています。

敵を作らない交友関係

お笑い界の大御所として、タモリ・さんま・たけしのBIG3やもともとのドリフターズのメンバーとの不仲説がしばしば取り沙汰されていました。しかし、笑っていいとも!や明石家さんまとのトーク番組に出演しなかったのは、口下手なのであまり盛り上げられないといった配慮があったからと言われています。また、いかりや長介さんをはじめドリフターズには感謝こそすれ、憎むことはないと後年語っています。

自分の後に台頭したとんねるずやダウンタウンといった後輩芸人たちにも分け隔てなく接し、ゴールデンタイムのテレビ番組枠が彼らに奪われても敵視することなく、新たな芸のジャンルを意欲的に開拓していきました。すべては視聴者を楽しませるためであり、とくに『天才!志村どうぶつ園』は動物たちとの触れ合いを通じて教育的内容を子どもたちに伝えるといった、お笑いのジャンルを超越した人気を博すようになりました。

予定調和から即興・テンポへ

志村けんさんは、ネタにしても番組づくりにしても予定調和ではなく、その場の雰囲気や出演者の関係性を読んで即興で様々な個性的な芸を出していく笑いを好みました。事前にネタ合わせをするというよりも、長年公私ともに付き合って息の合った仲間たちとテンポよく進めていくような流れが多かったように思います。

しかし、今回はあっという間に天国に行かれてしまいました。誰も心の準備も事前にネタ合わせもしていないままに、「おい志村~」と呼びかけると「あんだって~?」と返事があるような気がまだしています。彼がつくり、発展させてきた文化は私たちの中にあり、伝えていきます。長い間おつかれさまでした。

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にゃー
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1977年シアトル生まれ。地域イノベーション企業家。林業合コン、棚田deセグウェイ等の過疎地ビジネスを経て、行政トップの右腕、大学教員と産官学を経験。犬猫が地域に生き残る寛容な社会を目指すネコウヨです。

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