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『冒険の書』が見つからない大人たちへ

孫泰蔵さんの新著『冒険の書 AI時代のアンラーニング』を読みました。ChatGPTが普及し始める等、AIの浸透が始まっている現在、知識の詰込みやテクニックに偏重した受験などの教育・キャリア形成が根底から覆されるものと予測されています。そんなシンギュラリティの世界で人間は何を目指していけば良いのか、これまでの哲学者や科学者たちが構築してきた教育システムの歴史を紐解きながら一緒に考えていく内容です。

現代社会に埋めこまれる、メリトクラシーの罠

現在の日本は良い学校に進学し、良い会社に就職することが正解と見做され、受験での偏差値競争や学歴、仕事のステータスによって人間性まで規定されてしまうような能力主義・経歴主義が支配しています。それをメリトクラシーと呼びます。

メリトクラシーは従来の身分や生まれもった家柄といった階級社会から脱却して、個人の努力や機会の平等によって立身出世できるものとされてきましたが、様々な問題が生まれているのも確かです。年功的・序列型社会を助長する価値観であり、また機会の平等を謳う一方で教育水準や所得の格差固定化が進行しているといった調査結果もあります。

AIでオワコンになる知識偏重・知能指数

多くの受験問題はいかに知識を暗記して題意に対して正確に答えるかが問われ、また就職試験に用いられるSPIは知能指数を測るIQテストに準じるなど、私たちの社会での数々の関門はメリトクラシーに支配されています。評価基準が明確で数値化しやすい、というのが大きな特徴なわけですが、それは機械によって代替しやすいとも言えます。

実際に良い学歴を持つ大企業エリートの仕事とは、複雑なステークホルダーの利害を調整して有限な資源の投下を決めていく、ハイコンテクストな機能を担っている部分に価値があったわけで、それらがAIによって浸食されてきていることはChatGPT等の台頭によってより肌身に感じるようになりました。むしろ人間のように感情や利害関係に左右されることなく、最短距離での正解を示してくれる分使い勝手が良いとすら言えます。

労働者としての優秀さを競うゲームは終わった

果たしてこのAIの台頭によるシンギュラリティの到来は、人間にとってはユートピアとなるのか、ディストピアとなるでしょうか?単純労働はAIやロボットが担うことで人間は遊んで暮らせるようになるのか、はたまた人間よりも賢いAIによって人生プランすらも決められ、機械の奴隷として生きることになるのでしょうか。

1つ言えることは、20世紀に正解とされてきた良い大学に行って良い会社に入るという正解がとっくの昔にオワコンになっていたにもかかわらず、その構造を平成という30年間を通じて変えられずに温存してしまった日本社会が、これから激動の変化を迎えるということです。魔王を倒せば世界は平和になると思って課金も辞さずにレベルアップしていたら、実はゲームのルールが変わっていた世の中で、いかにサバイブしていくかを問われているのは、実は大人たちなのです。

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サイエンスとプラグマティズムの間で
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