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若い頃の旅の重要性

久しぶりに東南アジアを巡って、学生時代のバックパッカーの頃の感覚が蘇ってきました。20年も前になるので、当時はあまりインターネットも発達しておらず、知らない土地で行き当たりばったり良くやっていたな~と思います。

大人になると、創意工夫を失う

さすがに40代にもなると、旅にも慣れてきて様々なトラブルにも臨機応変に対応できてしまいます。その臨機応変というのが曲者で、だいたいはお金で解決というやり方になってしまうので、お金がない頃にどうやって試行錯誤して解決したのかがあまり思い出せなくなっています。今回の旅の場合、以下のようなトラブルが起こりました。

LCCで機内持ち込みしようとしたところ、重量オーバーで預けてくださいと言われてトランジットでピックアップするように指示される。しかしマレーシア・クアラルンプールでトランジットする際に荷物が見つからず、出国側のバゲッジレーンに流れていると考えて一瞬入国し、荷物を見つけてすぐに出国するという荒業で何とかやり過ごす。
現地のタクシーに乗った際に現金でしか決済できないと言われ、とりあえずホテルの人に立替えてもらう。ホテルの人にはオンラインで送金してくれと言われるも、現地のキャッシュレス事情に疎いためにホテル精算時に手数料を上乗せしても良いからサービス料として多めに支払う。
帰りにマレーシア・クアラルンプールで滞在することにしてホテルを予約したが、どうやら昼間に滞在するプランになっていたようで宿泊できないと言われてしまう。空港内にカプセルホテルがあったため、急遽そちらにチェックインして連日空港まで往復することに。

若い頃であれば、あの手この手でコミュニケーションして何とか解決していたと思うのですが、3000-5000円程度であれば払っちゃえ!という感覚が何とも大人になってしまったと感じます。

国が違っても、人間はだいたい変わらない

自分自身、海外でも日本国内でも、なるべく生活目線の見えるところを巡るのが好きです。それは、日常的な暮らしを観察することによって、どこに住んでいようが食う・寝る・遊ぶといった要素は共通していて、自分と同じような感覚を持っている人間同士なんだという共通理解ができるからです。とくに東南アジアは、常夏なので日本国内で言えば九州・四国のような感覚があって、とても楽天的でなんとでも暮らせるといった雰囲気が感じられます。

昨今は香港で市民と行政府の対立が起こっていたり、韓国で反日感情が高まっていたり、それらに対する日本人側の反応も何か異質な存在を恐怖しながら見るような感覚がネットを中心に支配しているように思います。しかし、どの国でもそこに暮らしている人々の当たり前の生活があって、根源的な価値観や安寧を願う心は変わらないのだと、若い頃から様々な地域を訪れてきたからこそ感じます。意識の分断とは無理解によって起こるのでしょう。

だいたい何処に行っても生活できる安心感

毎年必ず海外旅行には行くようにしており、また毎月のように国内ではどこかしらに飛んでいるので、どこでも暮らせるという感覚を持っているのは実にアドバンテージだなと思います。究極、日本が沈没してもインドネシアでたこ焼きを焼けば暮らしていけると考えられると、人生なんとでもなると様々なことにチャレンジできます。

それとともに、海外に行って生活様式を観察する上でも、比較対象としての日本の標準を持っているというのは強みであると感じます。経済的に停滞しているとはいえ、食文化一つとってみても日本ほど美味しいものが安価に食べられる国はありませんし、ソースや醤油1つ持って現地の食材と組み合わせれば、それだけでお店が開けるほどに成熟しているレベルにあります。

同様に日本のウォシュレットを海外に売り込んだり、スマホケースでもいろいろデコレーションしたり、まだまだ日本から売り込んで稼げるビジネスチャンスはたくさんあると感じます。若い頃から当たり前に思っている身の回りの文化を、客観的に見つめなおす機会を持っておくことによって自分が持っているカードの価値に改めて気づくのではないでしょうか。日本に生まれた時点で、ツーペア程度の役をすでに持っていると思いますよ。


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