まちづくり先進地に生まれ変わった西成
西成・あいりん地区といえば、日本有数のドヤ街でありたびたび暴動が起こる不穏な場所として語り継がれてきました。日雇い労働者が集まり、バブル崩壊とともにその人々がホームレスと化し、「一般人が行くと身ぐるみはがされる」「道端で覚せい剤が売られている」といった噂に尾鰭がついた状態で、ディープ大阪の象徴のような存在となってきました。
あいりん地区が抱える構造的課題
もともとは新今宮駅前のあいりん総合センターに、日雇い労働者を斡旋する寄せ場とハローワーク、そして病院など公共施設が複合化された施設として人が集まるようになったことに端を発し、日雇い労働者を泊める簡易宿泊所や格安で飲食を提供する店舗、飲み屋といったサービスが集積していきました。
日雇い労働者が集まり、そこに集積の経済が働いてさらに周辺サービスが発展していくという、地域経済成長モデルが右肩上がり=建設需要が高い状況であれば、この街の構造は合理的に機能していました。しかしバブル経済崩壊によってその構造が逆回転しはじめ、また日雇い労働者の高齢化も相まってやがてホームレスや生活保護受給者へと変質していった流れがあります。
橋下市長の下で進められた西成特区構想
2011年に大阪府知事から大阪市長へと鞍替えした橋下徹氏と大阪維新の会の大号令によって、西成特区構想を推し進める表明がされました。西成特区構想は8分野56項目の具体的提言から構成され、行政と民間の官民協働によって実行に移されていくことが明記されています。
貧困対策や生活衛生・治安の改善といった短期集中的な取組みと、教育環境の整備や外国人観光客の誘致といった中長期的な取組み、そしてハード・インフラ周りの大型事業に至るまで、課題先進地域としてのあいりん地区を生まれ変わらせるプロジェクトが5ヵ年計画で提示され、現在も継続しています。
大阪維新のポピュリズムに負けないまちづくりを
橋下市長の行政コストカット・府と市の二重行政解消といった政治姿勢は、ポピュリズムとも揶揄され実際に2015年に大阪都構想の住民投票が否決されると、橋下氏は政界引退します。それでも西成特区構想が立ち消えになることはなく、むしろ地域住民やNPOが行政を引っ張る形で継続していきます。
すでに主導権は地元団体が円卓会議として設定している「あいりん地域まちづくり会議」に移り、行政が決定事項をアリバイ的に説明するような場ではなく町内会やNPO、労働者団体といったステークホルダーが喧々諤々に議論してプロジェクトを叩いていく形で、実現に向けて動いています。それによって行政の縦割り構造に影響されずに、分野横断型で官民協働のまちづくりを進めているのです。
現在のあいりん地区の抱える課題
これら西成特区構想の取組みに呼応するように、あいりん地区の様相も変わりつつあります。簡易宿泊所は外国人バックパッカー向けのゲストハウスに、格安な飲食店やスーパーにも外国語が併記されるといった形で、ジェントリフィケーションとも言えるような変化が起こってきています。生活保護という税金の再分配に依存していた地域経済は、新しい産業構造を形成しつつありますが、外国人観光客の流入がストップしてしまった現在は再び厳しい状況となっています。
また、建替えが進められているあいりん総合センターには、数十名のホームレスが依然として野宿していましたが、封鎖に伴って行き場をなくしてしまっています。高齢化と野宿生活の長期化によって、就労が難しく身寄りのない人々が最盛期に比べて少数になったとはいえ存在しているのも事実です。2025年大阪万博に向け、大規模な再開発が進められる一方で、これら声なき声にどう対応していくのか、道半ばと言えるでしょう。
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