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コミュニティに期待する人々(前編)

近年、様々な分野においてコミュニティの価値が見直されてきています。ITが発達した昨今においてはソーシャルメディアなどを通じたオンラインコミュニティが喧伝され、また地方創生分野では地域コミュニティこそが公共の担い手となるべきといった論が聞かれます。

コミュニティとは何か?

そもそもコミュニティとは何なのでしょうか?古くは地縁・血縁といった関係性で地域土着のものであったり、封建制や宗教による繋がりが形成されていったことは歴史で習うものです。それらのコミュニティを学術的に論じて「ソーシャル・キャピタル」という概念での信頼関係や社会的繋がりとして可視化されたのは、20世紀末だと言われています。

とくにコミュニティの存在を大きく取り上げたのは、ハーバード大教授ロバート・パットナムです。「ソーシャル・キャピタル」の提唱者としても知られています。代表的な著作として『孤独なボウリング』があり、旧来の地縁や宗教的繋がりから外れて労働者として単身で都市に住む人々を、どちらかと言えば批評的に孤独なボウリングで遊ぶ人々として定義したのが始まりでした。

コミュニティの濃密さを測る指数

パットナムのソーシャル・キャピタルを測る指標として考えられたのは、14の項目です。地元の組織における役職やその参画頻度、新聞の購読率、選挙の投票率、地域NPOの活動活発度、友人を訪問したり招いた頻度といったものが挙げられています。

実はこのパットナムの指標に準拠したソーシャル・キャピタル指数は、内閣府の調査によって日本でも明らかになっており、都市部においては低く地方とくに過疎地域においては高いという結果となっています。これは我々の直観的にも、地縁血縁関係による冠婚葬祭は田舎の方が濃密であるという印象がありますね。

コミュニティを捉える政治的意味合い

学術的に定義されたソーシャル・キャピタル指数ですが、もちろん賛否両論あり、コミュニティの濃密さを必ずしも表現できていないのではないかといった指摘は現在も数多く出ています。そのような学術界の紆余曲折を知ってか知らずか、国家や国際機関においてはこのコミュニティ論こそが開発経済上の予算投下を是認するロジックとして、様々な取組みが開始されることになります。

国際連合や世界銀行といった組織は、開発途上国に対する投資をハードだけでは不十分であってソフト面での支援が重要として、自らの存在感を高める方策としてコミュニティ支援を打ち出し始めます。あるいは、日本国内においても東日本大震災以降には“絆”という言葉に代表されるコミュニティ支援活動が活発に行なわれるようになりました。

コミュニティの捉え方を都合よく扱う

そもそもパットナムの論じたコミュニティ論とは、古き良きアメリカの保守コミュニティの崩壊と、個人主義によって享楽的に時間を浪費する都市労働者の出現を描いたものでした。つまり、コミュニティとは古臭くて相互監視や集団行動を強要する社会といった滅びゆく存在として考えられていました。

それらを換骨奪胎してコミュニティこそが地域や開発における主体であると捉え始めたのは、政治的な思惑が大きく作用しているからです。日本国内においても、自治体が地域の隅々まで責任を持って面倒を見るのは予算的にもリソース的にも不可能になってくる中で、担い手として期待されるのは地域コミュニティであると結論付け、そこに対して手を変え品を変えて様々な政策や補助金を出している現状があります。

人間の集合体=コミュニティに期待し過ぎる風潮

最近では関係人口という言葉が使われ始め、地方創生政策における定住人口に代わる指標として自治体が都合よく取り入れている感があります。しかし、関係人口という言葉自体が曖昧であり、またこれまでも交流人口や訪問人口といった言葉で使い古されてきた政策を焼き直した印象は否めません。

もちろん、関係人口は質的に違うといった反論もあるかもしれませんが、前述したコミュニティ論のように政治的な意味合いを持って発生した言葉であるが故に、コミュニティの持つ閉鎖性や同調圧力といったマイナス面を臭いものとして蓋している印象もあります。

そしてより大きな問題としては、これらコミュニティに関する指標が未だに学術界においても定まっていないにも関わらず、地方創生関連予算としてKPIが設定され、関係人口が●●人、SNSでのシェアが■■回といった有効性が定かではない形で運用されていることです。

利害関係のあるコミュニティ論

人口が減っても関係人口が増えれば代替できる、自治体が減退してもコミュニティがあるから大丈夫、、といった論で、果たして良いのでしょうか?むしろこれらは思考停止なのではないではないかと危惧しているのが個人的な立場となります。むしろコミュニティは目的にはならず、都市部や企業内、PTAといった人が集まる場所には少なからず存在するものです。

これまで資本主義は家族という単位を分断し、集落や隣近所の共同体を破壊し、税の再分配によって公共機能を行政組織に依存するといったシステムを創り上げてきました。その公共機能が立ちいかなくなるから、再びコミュニティに頼ろうという考え方は虫が良すぎると思うのです。自助<共助<公助という考え方は高齢者支援や災害対策の文脈でも語られますが、この資本主義によって分断されたバグを見直さずにシステムの再構築を図ろうとしている状況です。

コミュニティを取り戻す方法

ここまで、時代や行政側の都合よく取り上げられてきたコミュニティ論について批判的に述べてきました。後編においては、コミュニティを取り戻す方法論について論じていきたいと思います。

後編はコチラ


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