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ゴールデンカムイの財宝が箱館に隠された理由

北海道は函館に来ています。先日、大団円を迎え完結した漫画『ゴールデンカムイ』の終着地であり、五稜郭に金塊が隠されているという設定でした。新選組副長だった土方歳三が生き残って網走監獄から脱走した、というストーリーから、この箱館戦争の舞台である五稜郭が選ばれました。

箱館戦争の舞台となった五稜郭

道南十二館の1つだった箱館

道南地方には、本州の和人と北海道のアイヌ民族の交易拠点として12の湊がありました。箱館にも函館山付近に宇須岸館、函館空港付近に志濃里館が築かれました。擦文時代(7-13世紀頃)には青苗文化と呼ばれる、恐らくは和人とアイヌ民族の混血の渡党が奥尻島を含めた日本海交易を活発化させ、本州側にも十三湊のような海洋都市が築かれました。

道南十二館の位置

奈良~平安期において、天皇の権威を象徴するような大型鳥獣の毛皮や羽がこの北海道からの交易によってもらたらされ、本州からは鉄器や穀物が輸出されていたと言われています。実際に北海道の遺跡からも、漆器や装飾具のような本州由来の高級品が出土しています。

アイヌにとって必要な緩衝地帯

どうして箱館のような湊が必要だったのでしょうか?1つは重要な交易資源となっている熊の毛皮や鷲の羽は、本来的には神の化身であり営利目的に使うのは禁忌に触れることでした。そこで、渡党という半分アイヌ人の同胞に対して物々交換をした、ということにして青苗人から鉄器や穀物を融通してもらっていました。

また、世界中の原住民がそうであったように、異民族から疫病が持ち込まれるのを極度に怖れていました。和人がやってくる場所を制限することで、水際対策が取れるわけですね。そして後年に和人が北海道に本格的に進出するようになって、アイヌ民族が疫病によって激減してしまったのは悲しい歴史です。

和人支配の契機となったコシャマインの戦い

1457年にアイヌ民族の大規模な反乱・コシャマインの戦いが勃発します。十二館のうち10ヶ所までが破られますが、首領のコシャマインが討たれ反乱は鎮圧されました。それによって和人の支配が強まり、やがて松前藩がつくられて幕藩体制のなかに組み込まれていくことになります。

極北の地は戦いに敗れた者や犯罪者が多く、箱館をはじめとした湊にも数多くの訳ありの和人が流入してきます。17世紀になって、松前で黄金が発掘されるとにわかにゴールドラッシュが起こり、主に河川を中心に集落が形成されていきます。明治時代末期にも江差を中心にゴールドラッシュが発生しており、この流れがゴールデンカムイにおける隠し財宝の伝説に結び付きました。

和人とアイヌ、そして海外との交易拠点・箱館

江戸~明治期に、これら流入してくる人口と活発化する交易の受け皿となったのが箱館でした。多様な人々が行き来し、様々な物品が取引される上で独自の通貨も鋳造されるようになり、そこで蓄財する人々も出てきます。

独自通貨・箱館通宝

箱館戦争によって明治政府の支配下となり函館と改められ、軍が駐留するようになります。函館山は天然の要害として、津軽海峡を護る砲台が置かれます。その後もニシン漁や炭鉱開発などで北海道の資源がどんどん開発されていく中で、函館はその交易拠点として発展していきます。財宝を隠すとすれば、これほどたくさんの人やマネーが流入する函館がベストだったということでしょう。

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